10月22日に木屋町三条に時代祭を見に行きました。
安土桃山時代の豊公参朝列が過ぎると織田公上洛列がやって来ます。
甲冑を身につけた武将たち
織田公上洛列は、平安講社第5社が奉仕します。
織田信長は、永禄11年(1568年)9月に正親町天皇の命に応じて上洛し、応仁の乱の後にさびれた京都の街の復興や御所の修復に尽力しました。
本列は、信長が上洛した時の模様を再現しています。
織田公上洛列の旗を先頭にゆっくりと行列が進んできました。

織田公上洛列
最初の馬に乗っている緑色の狩衣姿の人物は立入宗継(たてりむねつぐ)。

立入宗継
粟田口まで信長一行を出迎えたのが立入宗継です。
それ以外で、歴史に登場することはほとんどないのですが、時代祭の行列に加わっていることから、おそらく他の都道府県より京都での知名度は高いと思われます。
立入宗継の後は、織田家の家臣たち。
その先頭を葦毛の馬にまたがった羽柴秀吉が進みます。

羽柴秀吉
三鍬形前立兜(みつくわがたまえたてかぶと)を被り、五七の桐紋の陣羽織を羽織っています。
白を主体にした陣羽織のためか、どことなく非力な感じがしますね。
陣羽織の下には、丸縅胴丸(まるおどしどうまる)を着用しています。
装飾が少なめの唐冠兜(からかんかぶと)を被っているのは丹羽長秀です。

丹羽長秀
拍子木紋の陣羽織の下には、溜塗革包胴丸(ためぬりかわづつみどうまる)を着込んでいます。
陣羽織を羽織っているため、胴丸が見えにくいですが、袖の黒色に重厚感がありますね。
行列の中ほどで、本列の主役・織田信長が登場。

織田信長
右手に持った采配を沿道の観覧者たちに振ってサービス精神旺盛であります。
陣羽織が金色っぽい色で、他の武将より一段明るく見えます。
被っているのは三枚しころ鍬形打兜(さんまいしころくわがたうちかぶと)で、羽柴秀吉の兜によく似ていますが、上の写真だと小さすぎてわからないですね。
「しころ」は、「革」に「毎」と書きますが、環境依存文字のため変換できませんでした。
信長の後ろからは、馬廻、薙刀、槍と武装した兵が続きます。
兵の後ろから数人で具足櫃を運ぶ列がやって来ましたが、抱えている腕の下がり方を見ると、なかなか重そうです。

具足櫃
こういう役回りの人が一番大変そう。
後衛武士が通り過ぎた後に滝川一益がやって来ました。

滝川一益
いつもながら、兜の左右から長く突き出している角が勇ましい。
この兜は、銀水牛脇立兜(ぎんすいぎゅうわきだてかぶと)といいます。
兜自体が武器になりそうな威圧感。
肩の部分が赤く、胸に2本縦に金色の筋が入った赤地立四窼紋の陣羽織も勇ましい。
本列の中で最も強そうに見えますね。
ちなみに赤地立四窼紋の読み方がわからないので、ChatGPTに質問したら「あかじたてよつぬかもん」と答えてくれました。
最後に登場したのは、織田家の宿老の柴田勝家。

柴田勝家
左右に板がついた銀瓦形脇立兜(ぎんがわらがたわきだてかぶと)を被り、黒っぽい革包紫糸縅具足(かわづつみむらさきいとおどしぐそく)を身につけており、防御力が高そうな姿をしています。
宿老とあってか、馬の歩みが悠然として見えましたよ。
織田公上洛列は、戦国武将の行列らしく甲冑を着た人たちが多かったです。
具足櫃を持っている人たち等も甲冑を身につけていると、さらに迫力がありそうですが、そうできない事情があるのでしょう。
なお、安土桃山時代の行列は動画も撮影しましたのでご覧になってください。
この後は、室町幕府執政列が登場します。