京都を歩いていると、着物で観光している方をよく見かけます。
最近は、海外からお越しの方も着物をレンタルし、京都の街に溶け込むように観光していますね。
その中でも女性の着物は、花や葉などが染められた艶やかな意匠となっているものが多く、街中を歩いているだけで京友禅の美を楽しめます。
京友禅の技法は、その名からもわかるように京都で考案されたもの。
考案者は宮崎友禅斎で、京都市東山区の知恩院の門前に居を構えていました。
生誕300年を記念して造営された友禅苑
京阪電車の祇園四条駅から北東に約7分歩くと、知恩院の大きな三門が現れます。
江戸時代に宮崎友禅斎が住んでいたのは、この三門付近だったのか、それとも少し北に歩いた場所に建つ黒門付近だったのかはわかりませんが、いずれにしても知恩院の近くに住んでいたことは確かです。
三門の南側に友禅苑という庭園があるのですが、これは、昭和28年(1953年)に宮崎友禅斎の生誕からちょうど300年を記念して昭和29年に作庭されたものです。

友禅苑
友禅苑の中は、白砂が敷かれた枯山水庭園や池泉式庭園があり、春の桜や秋の紅葉など、季節ごとに様々な姿を見せてくれます。
庭園には、台の上に片膝を立てて坐している宮崎友禅斎の銅像もあります。
銅像は、半世紀以上の風雨により、緑色と黒色が混ざった年季の入った姿となり、頬に黒い涙が流れているように見えなくもないですね。

宮崎友禅斎の像
宮崎友禅斎は承応3年(1654年)生まれ。
彼は、町絵師として活動しており、若くして友禅扇という扇絵で広く知られる存在となっていました。
友禅斎の像の説明書によると、彼は、元禄(1688-1704年)の壮年時代にその俊敏な才能と手腕を発揮して、創意と工夫に充ちた模様染に傾倒したそうです。
振袖小袖の衣裳に友禅斎の意匠による花鳥風月、四季草花、山水楼閣など、思いいたるところを、糊置きと彩絵による新しい作品の製作に、あるいは意匠図案集の著作に、実に目覚ましい縦横の活躍をなし、友禅染を完成してその名声は一世を風靡したとのこと。
現在も、成人式などで京友禅の着物を見る機会がありますが、それは、元禄の世に花開いた京友禅の美しさが、今も色あせていないことを意味しているのでしょう。
説明書に「星移りもの変り三百年を経たのでありますが、友禅染にすこしの衰退の色もなく次第に技法上の発展を遂げ、今日の盛運を見るに至りまさに京友禅は名実ともにわが服飾界に王座を確保するに至ったものであります」と記されていますが、まったく誇張した表現ではないですね。
水質保全のため行われなくなった友禅流し
京友禅は、その作業工程で水洗いして不要な糊を流す必要があり、鴨川と堀川でそれが行われていました。
水洗いの工程は友禅流しと呼ばれます。

友禅流し
古都の風物詩として定着していましたが、水質保全のため、現在は行われなくなりました。
それでも、以前、夏の京都の行事「京の七夕」で、鴨川と堀川で友禅流しを見ることができました。
青色や赤色など彩鮮やかな京友禅が、鴨川の水面を泳ぐように流れるさまは、鯉のぼりを見ているようでしたよ。

鴨川に流れる友禅染
環境意識が高まっている現代で友禅流しを復活させることはさすがに難しいでしょうが、また、何かしらの行事で友禅流しを見たいですね。
海外からお越しの方が京友禅の着物を着て清水や祇園を歩いているのを見ると、今もなお、宮崎友禅斎が京都の経済に貢献しているのを実感します。
なお、知恩院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。