聞名寺の門前に立つ香川景樹の墓を示す石碑

京都市左京区の東山二条の交差点から東側の歩道を南に少し歩くと、癌病平癒にご利益があると信仰されている明眼地蔵を祀る聞名寺(もんみょうじ)というお寺が建っています。

その門前には、境内に江戸時代後期の歌人である香川景樹(かがわかげき)のお墓があることを示す石碑が立っています。

桂園派と呼ばれる和歌の一派

香川景樹は、明和5年(1768年)に荒井小三次の次男として産まれ、天保14年(1843年)に京都で没しています。

はじめは銀之助と名乗っていましたが、26歳の時に出奔して京都に出てきた後に香川景樹と名乗るようになりました。

香川景樹が京都に出てきたのは和歌の修行のためで、二条派の歌人であった香川景柄の門人となり、後に養子となっています。

景樹は、養父景柄と親交のあった小沢蘆庵(おざわろあん)の指導を受けました。

その思想に感化された景樹は、古今和歌集の調べを重視する「しらべの説」を唱え、万葉集を尊重する賀茂真淵門の村田春海、加藤千蔭らの江戸派と論争を繰り広げることになります。

景樹の号は桂園であったことから、彼の一派は桂園派と呼ばれるようになりました。

「桂園の四天王」と呼ばれた熊谷直好(くまがいなおよし)、木下幸文(きのしたたかふみ)、菅沼斐雄(すがぬまあやお)、高橋残夢(たかはしざんむ)ら多くの門人を抱えた桂園派は、後に幕末から明治時代にかけて、御歌所和歌の主流となっていきます。

贈正五位香川景樹大人墳塋の石碑

聞名寺には、地下鉄の東山駅から東大路通を北に約6分歩くと到着します。

そして、山門の左前には、香川景樹のお墓があることを示す石碑が立っています。

聞名寺の門前

聞名寺の門前

石碑には、「贈正五位香川景樹大人墳塋」と刻まれています。

贈正五位香川景樹大人墳塋

贈正五位香川景樹大人墳塋

正五位(しょうごい)は位階のことで、Wikipediaの香川景樹のページによると明治40年(1907年)に追贈されたそうです。

墳塋(ふんえい)はお墓のことで、石碑の一番下の「塋」の字が汚れていて、何と書いているのか判別するのが難しかったです。

「塋」の下側の「土」の部分は「去」となっているようにも見えますが。

聞名寺の墓地に行くと、香川景樹のお墓があるのでしょうが、そこまでは行きませんでした。

ちなみに香川景樹の歌は、やまとうた 和歌というウェブサイトの香川景樹のページで紹介されているのでご覧になってください。

なお、聞名寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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