京都市伏見区には多くの酒蔵が建ち並んでいます。
酒蔵が建つのは、その地で酒造に適した水を利用できるからであり、伏見も古くから名水が湧き出す地として有名でした。
その伏見の名水ですが、昭和初期に地下鉄工事計画が持ち上がった際、存続が危ぶまれました。
伏見には軍の施設もあった
伏見の名水で作った日本酒は甘口の女酒とされ、六甲山麓の灘の辛口の男酒と対比されているのはよく知られた話です。
私も伏見の名水を何度か汲みに行っていますが、口当たりがやや硬いのが特徴的で、これが女酒のもとになっているんだなと感慨深く思ったものです。
伏見の地名は、江戸時代までは「伏水」と書かれ、地下水が豊富であったことがうかがえます。
今も黄桜などの有名な酒造会社の酒蔵を見ることができ、江戸時代のような景観が今も残っていますね。

伏見の酒蔵
一方で伏見は、明治以降、軍都としての性格も持つようになります。
深草には、陸軍第十六師団司令部が置かれ、今でも、師団街道、第一軍道、第二軍道、第三軍道といった名の道路があり、その面影を残しており、以下の記事では写真付きで伏見が軍都であったことが紹介されています。
軍の施設が見られないよう地下鉄を通す案が浮上
地下鉄工事計画が持ち上がった背景には、伏見が軍都だったことと関係しています。
昭和3年(1928年)に奈良電鉄(現在の近鉄)が京都と奈良の間に電車を走らせる事業計画を策定しました。
沿線住民にとって新しく路面電車ができるのは便利なことですが、軍にとっては困ることがありました。
路面電車を通した場合、伏見も通過することから、陸軍第十六師団の施設が電車から丸見え。
そうすると、軍の機密が外に漏れる危険がありますから、路面電車ではなく地下鉄を通す案が浮上します。
もしも、地下鉄を通すと地下水を汲み上げることができなくなり、酒造会社が大打撃を受けるのは想像に難くありません。
だから、酒造会社は地下鉄案に猛反対するわけですが、その時に伏見の酒造が衰退すると酒税の納税が大幅に減少することを訴えました。
政府としても、それは困りますから酒造会社の要望を受け入れざるを得ず、地下鉄案はボツとなり、高架式軌道とする変更案が採用されることになります。
現在の近鉄電車は、桃山御陵前駅が高架となっていますが、それは伏見の名水を守ることが理由だったんですね。
今でも、桃山御陵前駅から東に約5分歩いた場所に建つ御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)からは御香水と呼ばれる名水が湧き出しており、参拝者は汲むことができます。

御香水
他に藤森神社の不二の水や大黒寺の金運清水なども湧き出しており、伏見の街は現在も清らかな地下水が保存されています。
これも、昭和初期に酒造会社が地下鉄工事に反対したおかげですね。
伏見に観光に訪れた際は、ぜひ、地下水で造られたお酒などの飲み物を召し上がってください。