京都市左京区にある南禅寺には、立派な三門が建っています。
石川五右衛門が上って「絶景かな」と言ったと伝わる三門ですね。
その三門の北側に背が高い石碑が置かれています。
この石碑は、今尾景年画龍碑(いまおけいねんがりゅうのひ)と呼ばれています。
法堂の瑞龍図を描いた今尾景年
南禅寺には、地下鉄の蹴上駅から北東に約7分歩くと到着します。
こちらが、今尾景年画龍碑です。
撮影したのは、紅葉が見ごろの時期でした。
石碑の近くに説明書があったので、簡単にその内容を紹介しておきます。
今尾景年は、明治大正を代表する円山四条派の画家で、当該石碑は彼を懸賞するために明治42年(1909年)6月に建立されたものです。
石碑の上の「瑞龍」の文字は、儒学者の藤澤南岳(ふじさわなんがく)の揮毫(きごう)です。
明治28年1月に南禅寺境内は大火に遭い、法堂(はっとう)を焼失しました。
南禅寺は、この窮地に高徳と名高かった高源室(こうげんしつ)を住持(官長)に招き、伽藍の再建を頼みます。
しかし、当事は、不景気で、日清戦争にも巨額の戦費を拠出していた時期だったので、伽藍修復の資金を募ることが難しい状況でした。
高源室の苦労を知った今尾景年は、いくつもの観音菩薩像を描き、広く懇志を仰ぐようすすめます。
そこで、高源室は、これをもって各地を行脚(あんぎゃ)し、南禅寺派寺院、檀信徒、篤志家から再建に必要な浄財を集めることができ、明治35年に法堂再建の起工にいたりました。
高源室は、今尾景年に感謝し、そして、伽藍を火災から守るとともに仏法を護る守護神として、彼に新法堂の天井龍を描くよう要請します。
今尾景年は、その要請に応え、迫真的な龍を描くために古来の龍の表現法を研究するだけでなく、龍の一部を雲でぼかすなど、随所に立体感を持たせる工夫を施します。
そして、完成した天井龍は、迫真的かつ霊妙なものとなったとのこと。
明治41年5月に天井龍が取り付けられ、同年11月に法堂が建立、翌年2月に開眼供養が行われました。
その法要では、不思議なことに読経が始まると青空に暗雲が垂れ込め、突然、雨が降り出し、読了とともに再び青空に戻ったと伝えられているそうです。
碑文には、まず龍の持つ霊力が記されています。
龍は経を聞き、法を護り、災害を防ぐ不思議な力を有しているため、寺に重んじられたのだとか。
今尾景年は、形だけの龍を描くのではなく、真の龍を描かねばならないと述べ、揮毫に大きな硯や筆を用い60日かけて制作したと伝えられています。
当時、今尾景年は病気だったのですが、天井龍を描きあげると全快し、これも龍の霊力だろうと石碑に記されています。
そして、画龍に瞳を入れることの難しさはよく知られているが、今尾景年の画龍は、瞳を入れたことで霊力を得たのだとも記されています。
今尾景年画龍碑の近くにある説明書には、令和5年(2023年)10月5日の日付があり、これは、今尾景年百回忌正当命日の日だそうです。
再建された南禅寺の法堂は、今も残っており、戸の隙間から天井を見上げると、今尾景年が描いた瑞龍図が見られます。
碑文の終わりの方では、今尾景年の描いた瑞龍が南禅寺を火災から護る霊験はあらたかだが、それを知るのは後世の人だと記されています。
毎年、春や秋に多くの旅行者や観光客が南禅寺を訪れ、桜や紅葉を楽しんでいますが、これも、当寺を火災から守る瑞龍の霊力のおかげなのでしょう。
南禅寺に参拝した時は、ぜひ、法堂の天井龍をご覧になってください。
なお、南禅寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。