10月上旬に京都府八幡市の石清水八幡宮に参拝した後、神應寺(じんのうじ)を訪れました。
神應寺は、男山の中腹に建つ曹洞宗のお寺で、石清水八幡宮の一の鳥居から西に少し歩いたところにその山門があります。
目につきにくい場所にあることから、普段から参拝者は少なめです。
無人の境内
神應寺は、京阪電車の石清水八幡宮駅から南に徒歩約5分で到着します。
男山のふもとに建つ神應寺の山門。
周りには民家があるものの、人の気配は感じられません。
神應寺は、境内に行くまでの参道が急な石段となっており、上るのが一苦労です。
石段の長さは50メートルほどでしょうか。
そんなに距離があるわけではないのですが、結構な運動になりますね。
石段を上りきり境内に入ります。
いつものように無人。
神應寺は、石清水八幡宮に八幡神を宇佐より勧請(かんじょう)した行教によって、貞観2年(860年)に応神天皇の位牌所として創建されたと伝えられています。
法相、天台、真言と宗旨が変わっていき、室町時代に現在の曹洞宗に改宗されました。
境内の入り口付近に置かれた淀君茶室の庭石。
当寺は、豊臣家とも縁があり、秀吉の正室であった北政所は12世住職の弓葴禅彊(きゅうしんぜんきょう)に帰依しています。
足元には、白色のヒガンバナが咲いていましたが、そろそろ終わりが近づいています。
秋の花もちらほらと咲いていますね。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
天正17年(1589年)には、豊臣秀吉朱印状により、寺領120石が与えられ、また、徳川家康をはじめ歴代徳川将軍からも寺領が安堵され、石清水八幡宮領内や近隣に末寺数ヶ寺を組織していたとのこと。
本堂から眺める男山。
近くに駅があるのですが、まるで、山の奥に入ってきたような景色であります。
19世郭翁鉤然(かくおうこうねん)が、大奥総女中頭右衛門佐局の支援で、徳川綱吉と御台所より袈裟を賜り、各地を勧進行脚して寺観を整えました。
そして、元禄10年(1700年)に多くの雲水が毎年修行する常法憧地(じょうほうどうち)の寺格を得て、洛南有数の禅苑となったそうです。
今は、男山の中腹にひっそりと建つお寺となっていますが、これは、明治維新の廃仏毀釈の影響のようです。
境内西側のお堂に「神應寺てらこや」と書かれていました。
江戸時代の寺子屋ということでしょうか。
それとも、今も、ここで子供たちに勉強を教えているのでしょうか。
この日は、私が境内にいる間は、まったく参拝者が訪れませんでした。
静寂のお寺で、秋が少しずつ深まって行くのを感じられましたよ。
なお、神應寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。