京都府乙訓郡大山崎町の天王山のふもとに室町時代の連歌師であった山崎宗鑑の冷泉庵跡を示す石碑が置かれています。
滋賀県栗太郡常盤村志那で生まれた山崎宗鑑は、室町幕府9代将軍の足利義尚に仕えていましたが、義尚が近江で戦没した際、世の無常を感じて出家し大山崎に隠棲しました。
ちなみに出家する前は、志那弥三郎範重と名乗っていました。
霊泉連歌講跡と山崎宗鑑の句碑
JRの山崎駅から北東に3分ほど歩くと、天王山登り口と刻まれた石柱が立っています。
その石柱の左側に「この付近 霊泉連歌講跡」と刻まれた石碑と山崎宗鑑の句碑があります。
山崎宗鑑は、室町時代を代表する連歌師、俳諧作者です。
山崎宗鑑冷泉庵跡の説明書によると、大山崎に隠棲した山崎宗鑑は、離宮八幡宮の社頭で月例会として開かれていた連歌会の指導や冷泉庵での講を主催していたそうです。
彼は、お固い雰囲気の連歌は肌に合わず、自由な俳諧の世界に入り、俳諧連歌選集の新撰犬筑波集(しんせんいぬつくばしゅう)を生み出します。
また、山崎宗鑑は書にも優れており、その書は宗鑑流として多くの人々から珍重されました。
上の写真に写っている句碑には、以下の句が刻まれています。
うつききて ねぶとに鳴や 郭公(ほととぎす)
この句は、掛詞を巧みに使い、その手法は後の俳諧の基礎となったとのこと。
妙喜庵
山崎駅に戻ると、妙喜庵という建物があります。
この妙喜庵は、明応年間(1492-1500年)に山崎宗鑑が隠居所として建立したものと伝えられています。
妙喜庵には、千利休が山崎の戦いの直後に建立した草庵茶室の代表的な意向である待庵(たいあん)があり、国指定文化財に指定されています。
また、茶室から続く書院も、国指定文化財に指定されており、文明年間(1469-1487年)に建立されたものと考えられています。
大山崎は、今も自然が多く残っています。
室町時代は、もっと人や民家が少なく隠棲するにはちょうど良い場所だったことでしょう。
大山崎に観光で訪れた時は、自然の景色もたっぷりと味わいたいですね。