1月中旬に京都市左京区の檀王法林寺に参拝した後、北に約5分歩き頂妙寺にも参拝しました。
頂妙寺は、日蓮宗のお寺で、仁王門通の名の由来となった仁王門があることで知られています。
広々とした境内を持つお寺ですが、いつも参拝者は少なめですね。
クロネコの兄弟
頂妙寺には、地下鉄三条京阪駅、もしくは京阪電車の三条駅から北に約5分歩くと到着します。
仁王門通に面する頂妙寺の総門。
これが仁王門かと思うかもしれませんが、そうではありません。
総門の足元には、正月らしく松が付いていました。
総門をくぐって境内に入ります。
クロネコの兄弟が2匹、こちらに向かって歩いてきました。
以前、頂妙寺を訪れた時は母ネコと一緒にいたのですが、この日は母ネコは見当たりませんでした。
総門の先に建つ仁王門。
東に持国天、西に多聞天が祀られていますよ。
仁王門の近くには、ナンテンが赤い実をつけていました。
ナンテンも、1月にお寺にお参りをするとよく見かけますね。
境内を歩く
仁王門を過ぎると、広々とした境内の奥に本堂が建っています。
本堂の前のイチョウは、葉がすべて散り枝だけになっていました。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
本堂の前には、立正安国を説く日蓮聖人の像があります。
文応元年(1260年)に日蓮聖人は、鎌倉幕府に立正安国論を提出します。
その頃、国内では疫病や飢饉などが発生し、人々の暮らしが厳しいものとなっていました。
そこで、日蓮聖人は、法華経こそが人々を救う正法であると主張し、多宗派を排斥します。
これが原因で、日蓮聖人は多宗派の信者に襲撃されたり、幕府に捕らえられて伊豆に流罪となったりしました。
境内の東側に建つ祖師堂。
頂妙寺は、下総国千葉郡の日祝上人が法華経布教のため上洛した後、細川勝益の帰依を受け、文明5年(1473年)に四条柳馬場にあった勝益の邸宅を譲り受けて一宇を建てたことに始まります。
その後、1509年頃に上京区新町通の元頂妙寺町付近に移り隆盛しました。
それからも寺地を転々とし、延宝元年(1673年)に現在地に定まりました。
現在の頂妙寺の建物は、天明の大火(1788年)の後に建てられたものです。
本堂の東側に建つ鎮守社の威徳善神堂には、威徳善神が祀られています。
小さな祠ですが、建物が黒色ばかりの頂妙寺境内の中では、鳥居と玉垣が鮮やかな朱色のため、ひときわ目立ちます。
それもそのはずで、威徳善神堂は令和3年(2021年)5月に修繕が完了したばかりです。
この時の工事で、威徳善神堂は、寛政6年(1794年)の建立と確認されました。
本堂の西側は駐車場になっています。
駐車場と境内を仕切るために植えられたサザンカが、赤色の花を咲かせ、冬の境内に色を添えていましたよ。
私が頂妙寺を訪れた時は、お寺の方が掃除をしている以外に人の姿を見かけませんでした。
いつもながら境内は静かでしたよ。
この後は、寂光寺に参拝します。
なお、頂妙寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。