8月下旬に京都市左京区の満願寺に参拝した後、北東に7分ほど歩いて金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)にやってきました。
金戒光明寺は、浄土宗四ヵ本山のひとつで、黒谷に広大な敷地を有しています。
幕末には会津藩が宿泊したお寺としても知られていますね。
金戒光明寺には、年に何度か参拝に来ることがあり、夏にも数回お参りしています。
五劫思惟阿弥陀仏
市バス停「岡崎神社前」から、岡崎別院と岡崎神社の間にある細い道を北に3分ほど歩くと、金戒光明寺の南門が現れます。
その南門を少し進むと、墓地の入り口に到着します。
墓地の入り口付近では、五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)のパネルが置かれていました。
五劫思惟阿弥陀仏は、近年、アフロの阿弥陀さまとして人気があり、金戒光明寺も、それをアピールしているような感じですね。
実物の五劫思惟阿弥陀仏は、上のパネルから東に進み、石段を少し上がった場所にいらっしゃいますよ。
人々を救おうと、長い期間、一心不乱に修行し続けた結果、髪が渦を巻くほど長く伸びたそうです。
墓地付近のテントでは、扇風機が置かれていました。
この日も、最高気温が37度と非常に暑かったです。
扇風機からはミストが出ており、テントの中に入ると、ひんやりとした風が心地よかったです。
手をミストに当てても、水の粒子が細かいためか、濡れることがありません。
しばらく、ここで涼んでいきましょう。
テントの近くの蓮池は、ハスの葉で覆われていました。
ハスの花は、1つだけ咲いていましたよ。
蓮池は、兜の池とも呼ばれています。
平安時代末期、源平合戦で有名な武将の熊谷直実が、この地に庵を結んでいた法然上人を尋ね、出家を決意し、兜を置き、その緒を切り、弓を池に架けた形が起源と言われています。
境内には、熊谷直実鎧掛けの松もありますよ。
蓮池には、極楽橋と呼ばれる石橋が架かっています。
極楽橋は、寛永5年(1628年)に春日局が、徳川秀忠の正室の崇源院の御台墓(みだいばか)を建立し、参詣するために架けたものです。
当初は木造でしたが、同10年に豊永堅斎が秀忠の追善菩提のために山上に三重塔を建立し、その翌年に極楽橋を石橋に作り替えています。
蓮池は、江戸時代の都花月名所にハスの名所と謳われており、今もなお、夏にはきれいな花を咲かせます。
夏の終わりの風景
蓮池から西に歩きます。
境内のちょうど南に来ると、大きな山門が現れます。
金戒光明寺に参拝する際は、この山門をくぐりたいところです。
でも、石段を登らないといけないので、夏の暑い日は無理しない方が良いでしょう。
山門の北の石段を上った先には、御影堂(みえいどう)が建っています。
遠くからだと小さな建物に見えますが、間近で見ると、その巨大さに驚きますよ。
こちらは、阿弥陀堂です。
中には金色の阿弥陀さまが祀られていますよ。
今回は、阿弥陀堂にお参りをしましょう。
阿弥陀堂の天井には、龍が描かれています。
これまで何度も阿弥陀堂にお参りをしていますが、天井の龍には全く気づきませんでした。
同じ場所に何度も通うことで、新たな発見があるものです。
阿弥陀堂の北に建つ唐門。
唐門の前の梅は、鮮やかな緑色の葉をたくさん付けていました。
もう夏も終わりが近づいているのですが、金戒光明寺の境内の風景は、夏真っ盛りといった感じです。
北側の参道を歩いていると、真っ白いサルスベリがたくさん咲いていました。
足元では、背の低いムクゲもピンク色の花を咲かせています。
金戒光明寺の夏は、まだ終わりそうにないですね。
この後は、北隣の真如堂に参拝しました。
なお、金戒光明寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。