6月下旬に拝観した二条城。
城内の北西まで見て歩いた後は、北側に設けられている清流園と緑の園へ向かいます。
二条城の庭園は、二の丸庭園や本丸庭園が有名ですが、清流園も見逃せないですね。
梅雨の清流園の風景
北中仕切門の近くに加茂七石が置かれています。
加茂七石は、畚下石(ふぐろいし)、紫貴船石、紅加茂石、糸掛石、畑石、鞍馬石、八瀬真黒石の7つで、二条城にはすべて置かれています。
真っ黒な石もあれば、白っぽい石もあり、でこぼこした石もあれば、つるりとした石もあります。
城内のちょうど北側に来ると、清流園があります。
清流園は、昭和40年(1965年)に京都市が迎賓施設として作った庭園なので、比較的歴史が浅いです。
西半分は和風です。
西端に建つ和楽庵は、中に入って休憩することができるのですが、この日は臨時休業でした。
和楽庵以外にも、清流園には無料で休憩できる場所がありますよ。
池の奥に建つのは香雲亭です。
香雲亭の中には、入ることはできず、池越しに眺めるだけです。
清流園の池には、立派な石が置かれています。
建築部材、庭石、樹木の多くは江戸時代の豪商・角倉家の屋敷跡から譲り受けたものです。
角倉家と言えば、角倉了以(すみのくらりょうい)が有名で、高瀬川を開削したことで知られていますね。
清流園の東側は、洋風となっており、芝生が広がります。
二条城は全体的に芝生が多いですが、清流園の芝生は特に広々としています。
清流園の通路を東に歩きます。
通路沿いには、しだれえんじゅも植えられており、7月から8月にかけて蝶形の白い花を咲かせますが、私が訪れた日はまだ咲いていませんでした。
春は、桜もきれいですね。
緑の園
清流園の東端にやってきました。
奥に見えるのは、北大手門です。
二条城の北には、京都所司代屋敷があったことから、北大手門はその連絡門として使われたと考えられています。
正門の東大手門に対する控えの門とのこと。
建築されたのは、二条城築城時の慶長8年(1603年)なのか、寛永3年(1626年)の後水尾天皇の行幸の時なのか、どちらなのかはわかっていません。
幅は、東大手門より6メートルほど短く、門構えも一回り小さいですが、奥行きや高さは東大手門と同じです。
金色の装飾がないことや二階床梁に丸太を使っていることなど異なる部分はありますが、石落しを備えるなど外観や構えは東大手門と遜色ありません。
北大手門を近くでじっくりと見たいのですが、50メートルほど下がった場所から眺めることしかできません。
城内の北東角には、緑の園があります。
その名のとおり、芝生の緑色がきれいです。
奥には土蔵も置かれていますよ。
緑の園から南に進みます。
展示収蔵館もこの日は入ることができませんでした。
隣にある大休憩所には入れますよ。
大休憩所を過ぎ事務所の近くにやってきました。
ここには、被爆アオギリが植えられています。
このアオギリは、広島平和記念公園内に生息する被爆アオギリの子孫です。
広島のアオギリは、原爆の熱線と熱風で大やけどを負いましたが、生きながらえ、その子孫は平和の大切さを伝えるために各地に植樹されています。
二条城の被爆アオギリもその1本で、平成25年(2013年)10月に遊悠舎京すずめ、被爆アオギリ里子運動関西事務所の企画により、福島県立会津高校と京都堀川高校の生徒たちの交流活動の一環で植樹されました。
東大手門に戻ってきました。
いつもなら、多くの観光客や旅行者がいるのですが、この日は東大手門をくぐる人の姿が少なかったです。
京都は、緊急事態宣言が解除されても以前のような賑わいはありません。
いずれは多くの人が訪れるようになるのでしょうが、しばらくの間は、有名な観光名所でも人が少ないでしょうね。
静かに落ち着いて京都観光を楽しめるのは、今だけかもしれません。
なお、二条城の詳細については以下のページを参考にしてみてください。