おくどさんと平野神社

料理に欠かせないものと言えば火です。

現在ではガスレンジなどで簡単に火を起こせますが、かつては、手間のかかる竃(かまど)で火を起こし料理をしていました。

京都では、竃(かまど)のことを「おくどさん」といいます。

「さん」は敬称なので、「おくど」が竃ということになります。

では、京都では、なぜ、竃のことを「おくど」と呼ぶようになったのでしょうか。

実は、京都市北区に建つ平野神社に祀られている祭神が、その由来なのです。

おくどさんの由来は久度神と古開神

京福電車の北野白梅町駅から北に5分ほど歩くと、平野神社の鳥居が建っています。

鳥居をくぐって境内に入り、神門をくぐった奥に本殿が建っています。

本殿

本殿

平野神社の本殿は、比翼春日造や平野造と呼ばれる特徴的な建築技法で造られています。

祭神として祀られているのは、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比売神(ひめのかみ)の4柱です。

平安遷都(794年)の際、平城京に祀られていた今木神、久度神、古開神を勧請(かんじょう)し、その後、貞観年間(834-848年)に比売神も祀られるようになりました。

以前に紹介した書籍「タイムトラベル もうひとつの京都」には、久度神と古開神が竃の神さまで、奈良の久度神社に祀られていたと述べられています。

久度神の「くど」が「おくど」の語源になっていることは容易に想像できますね。

延喜式の内膳司式(ないぜんししき)には、天皇の食を饗する御竃(みかまど)には、平野、庭火(にわび)、忌火(いみび)の三竃があったと記されています。

庭火御竃は通常の食膳を饗し、忌火御竃は祭事の食膳を饗し、そして、平野御竃は健康・吉祥を司る御竃とされています。

このことから、平野神社が宮中と深い関係があったことがうかがえます。

久度神は百済系渡来人の神さまとも言われており、前掲書では、製鉄技術を持った渡来人の神さまだった可能性を指摘しています。

現在の平野神社は、桜の名所として多くの人々に親しまれており、春になるとたくさんの参拝者で境内が賑わいます。

春の平野神社

春の平野神社

食を疎かにせず健康を保っているからこそ、毎年のようにお花見を楽しめるのだと思うと、平野神社に訪れた時には、久度神や古開神に感謝の意をこめて本殿にお参りをしたいですね。

なお、平野神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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