10月26日に行われた時代祭。
私は、最初は烏丸御池で観覧していましたが、途中から烏丸通を北に進みながら時代祭の行列を見て歩きました。
鎌倉時代の行列が過ぎ、藤原時代の行列がやってきました。
藤原公卿参朝列
藤原時代は、平安時代の藤原氏が隆盛を誇った時代です。
藤原時代の最初に登場するのは、藤原公卿参朝列です。
藤原道長や頼通の時代は、まさに貴族の時代です。
藤原公卿参朝列の行列は、平安時代末期の強装束(こわしょうぞく)をならったものです。
文武両様の王朝風俗で、参朝する位の高い文官や武官の夏の正装姿です。
馬に乗った橙色の服を着ているのは、昇殿を許された殿上人です。
信号が変わるまで、その場で待機しています。
平安時代婦人列
藤原公卿参朝列の次は、華やかな平安時代婦人列です。
最初に登場したのは、葦毛の馬に乗った巴御前。
巴御前は、木曽義仲の妻で、義仲とともに平家を都から追い落とし上洛を果たしました。
しかし、源範頼・義経の軍勢と宇治川で戦った木曽義仲は敗北。
京都から逃げる途中で、巴御前は木曽義仲と別れます。
男勝りの女性と言えば、巴御前をすぐに思い浮かべる人も多いことでしょう。
笠を手に持ち歩いて進む女性は横笛です。
横笛は、滝口入道に登場する女性で、嵯峨野まで慕う男性を訪ねに行きました。
続いて常盤御前の登場です。
源義朝の妻であった常盤御前は、平治の乱で義朝が敗れると、3人の子供とともに平家の追手から逃れるため雪の中をさまよいます。
しかし、逃れることができないと悟った常盤御前は自ら平清盛のもとに行き、3人の子供の命乞いをします。
常盤御前の横には、今若と乙若の2人の男の子がついて歩きます。
幼い牛若は、常盤御前に抱かれていることになっているのでしょう。
枕草子の作者の清少納言と源氏物語の作者の紫式部が、同じ輿に乗って仲良く進みます。
2人は、いがみ合っていたと伝えられていますが、時代祭ではそのような素振りは見せません。
こちらは、紀貫之の女です。
常盤御前の服装と比較すると、平安時代でも、女性が来ていた服に違いがあるのがわかります。
平安時代は約400年続きましたから、その間に女性の服装にも変化が出ています。
絶世の美女と謳われた小野小町。
時代祭でも上品であります。
和気広虫(わけのひろむし)は、平安京の造営に活躍した和気清麻呂の姉です。
日本最初の孤児院を作った女性として知られ、時代祭では、子供たちと一緒に歩きます。
平安時代婦人列の最後は、輿に乗った百済王明信(くだらのこにきしみょうしん)です。
平安時代初期の女官で、桓武天皇からの信頼も篤く、尚侍(ないしのかみ)として天皇を陰から支えました。
衣装は、当時の女官の礼服です。
藤原時代まで過ぎると、そろそろ時代祭の行列も終わりが見えてきます。
この後は、延暦時代の行列が登場します。