9月中旬に京都市南区の城興寺に参拝した後、西に10分ほど歩き、東寺を訪れました。
東寺は、五重塔で有名なお寺で、京都市にある4つの五重塔では、最も知名度が高いですね。
西から京都にお越しの方は、車窓から東寺の五重塔が見えると京都にやって来たと実感するのではないでしょうか。
八島社と鎮守八幡宮
東寺の最寄り駅は、近鉄電車の東寺駅です。
駅からは、西に3分ほど歩けば東寺の五重塔が見えてきます。
この日は、午前中は晴れていたのですが、正午から強い雨が降り、東寺駅近くで20分くらい雨宿りすることになりました。
空に黒っぽい雲が、もくもくと増えてきたので雨が降りそうだなと思っていたら、やっぱり降ってきました。
雨雲の隙間から青空が見え始め、雨がほぼ止んだので東寺に向かいます。
今回は、南側の南大門から境内に入りましょう。
南大門に到着すると、再び雨が降り出したので、南大門の屋根の下から東側の八島社と五重塔を眺めます。
八島社の祭神は、東寺の地主神とも、大己貴神(おおなむちのかみ)とも言われています。
社名は、我が国を大八洲瑞穂国(おおやしまみづほのくに)といったことに由来します。
東寺が創建される以前から鎮座していたということですから、平安遷都(794年)よりも前から祀られていたのでしょうね。
近くの説明書によると、弘法大師空海は、この神さまの夢想を被って、当地に伽藍建立に先立ち、寺門造立成就、方位安全、法道繁盛の祈願をし、地主神と崇めたと伝えられているそうです。
雨が止んだかなと思ったら、また降り出してきました。
南大門の西側の小さなお堂の下で雨宿りをします。
眼前には、弘法大師像が立っています。
弘法大師像の西側には、鎮守八幡宮が建っています。
鎮守八幡宮の創建は、延暦15年(796年)で、平安京と東寺を守護するために祀られました。
弘仁元年(810年)の薬子(くすこ)の変に際して、空海が八幡神を祀り、社を建立したのが始まりとも言われています。
本尊の八幡三神像は、1本の霊木から3躯を造りだした貴重なもので、秘仏とされています。
東寺は、南北朝時代に足利尊氏が陣を布いた場所で、新田義貞の軍勢が攻めてきた時に鎮守八幡宮の神殿から流鏑(かぶらや)が飛び、勝利したと伝えられています。
鎮守八幡宮は、明治元年(1868年)に南大門や八島社とともに焼失しましたが、平成4年(1992年)に再建されました。
新しくなったトイレ
小雨がパラパラと降ります。
鎮守八幡宮から北に歩き、工事中の御影堂(みえどう)にやってきました。
御影堂の北側に仮御影堂があるので、中に入ってお参りできますよ。
今回は、工事中の御影堂の南側に建つ毘沙門堂にお参りをしました。
東寺の毘沙門堂は、都七福神めぐりのひとつに数えられています。
境内の北側のトイレは工事が終わり、古都の風情ある造りになっていました。
京都市は、市内の公衆トイレの改修を支援しており、補助金を支給しています。
東寺のトイレも、その補助金を利用して改修したとテレビのニュースで言ってましたよ。
トイレの壁には、東寺の五重塔を大修理している絵がかかっています。
この絵は、平成東寺伝説絵巻で、東寺に伝わる説話や逸話をもとに作られました。
絵巻の内容はフィクションとのこと。
私が東寺にいる間は、雨が降ったり止んだりを繰り返していましたが、ようやく青空が広がり始めました。
でも、すぐに空は曇り、再び雨が降り出したんですけどね。
なお、東寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。