6月下旬。
京都市右京区の車折神社(くるまざきじんじゃ)に参拝しました。
この時期の京都の神社では、境内に茅の輪が設置されます。
また、6月下旬には、正月からの半年間に身体や心に溜まった罪や穢れを払う夏越祓(なごしのはらえ)が、多くの神社で催されます。
この夏越祓と茅の輪は、ほぼセットとなっていますね。
滄海神社にお参り
京福電車の車折神社駅で下車すると、目の前に車折神社の北側の鳥居が建っています。
本来なら、南側の鳥居から境内に入りたいところですが、駅から便利なのは北側の鳥居なので、ここから境内に入ることに。
石畳の参道が南に向かって延びています。
6月も下旬だというのに京都は梅雨入りせず晴天。
まるで、梅雨を通り越して夏がやって来たかのような天気であります。
参道の途中には、滄海神社(そうかいじんじゃ)が建っているので、お参りをしていきましょう。
滄海神社は弁天神社とも呼ばれており、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。
創建は文明5年(1473年)とのことですから、500年以上の歴史があります。
説明書によれば、もともとは、車折神社の近隣の寺院の鎮守神だったのですが、廃寺となった際、車折神社に移管されたとのこと。
弁財天は、インド神話の神さまで、仏教に取りいれられ諸天の一神とされ、知恵、長寿、財宝の神として信仰されています。
明治時代の宗教政策により、滄海神社の祭神は市杵島姫命とされ今日にいたったそうです。
社名の滄海は、大海原の意味で、渡来した水の女神・弁財天を象徴したものなのだとか。
参道をさらに南に進むと、清めの社があります。
鳥居の奥には、三角錐の盛砂のようなものがあります。
こちらにもお参りをして、悪い運気や因縁を浄化し、心身を清めておきましょう。
本殿脇に先ほどの滄海神社にお参りするための献水がありました。
お参りを済ませた後ですが、緑色の手桶に水をくみ、滄海神社の前の手水鉢の右側にあった小さな四角い桶の中に水を入れておきました。
茅の輪くぐり
本殿への入り口になっている石造りの鳥居の前にやって来ました。
鳥居には、茅の輪が設置されています。
茅の輪をくぐって心身を清めた後、人形(ひとがた)を書くと、気づかぬうちに身に付いた罪や穢れがことごとく祓われ、運気が多いに上昇するそうですよ。
今回は、茅の輪をくぐるだけだったので、あまり運気が上がらないかもしれません。
車折神社の茅の輪は、まっすぐくぐるだけですが、他の神社だと、左回り、右回り、左回りと3回くぐることが多いですね。
その際、「水無月(みなづき)の夏越の祓する人は千年(ちとせ)の命延ぶといふなり」と唱える神社もあります。
茅の輪をくぐった後は、本殿にお参りです。
本殿に祀られているのは、平安時代末期の儒者であった清原頼業(きよはらのよりなり)です。
頭が良くなるようにお願いしておきましょう。
その昔、嵯峨天皇が嵐山に遊行した時、社前で牛車が動かなくなったので、門前右側の石を車折石(くるまざきのいし)と呼び、正一位車折大明神の神号を贈ったと伝えられています。
車折神社という変わった社名は、これが由来なんですね。
本殿にお参りを済ませた後は、その裏側に回ります。
本殿の裏には、八百万神社(やおよろずじんじゃ)が建っています。
今まで車折神社には、何度かお参りしていますが、八百万神社は今回初めて知りました。
近くの説明書には、八百万の神々の広大な繋がり(ネットワーク)にあやかり、「人脈拡大」のご利益を授かりましょうと書かれていたので、人脈が広がるようにお願いしておきましたよ。
本殿から少し南に進むと、清少納言社が建っています。
本殿に祀られている清原頼業は、平安時代中期の女流文学者の清少納言と同族です。
清少納言の生没年や墓所は定かではないため、車折神社の境内に祠を築き、その御霊(みたま)を祀ったのが清少納言社だそうです。
才色兼備のご利益を授けてくれるそうですよ。
清少納言社の近くには、芸能神社も建っています。
祀られているのは、芸能や芸術の祖神とされる天宇受売命(あめのうずめのみこと)です。
天宇受売命と言えば、天照大神が天の岩戸に隠れた時、その前で踊りを披露して天照大神を天の岩戸から出した女神として知られていますね。
また、芸能神社は、社殿を囲む朱色の玉垣も見ておきたいです。
奉納した人の名前を見ると、芸能人の方の名前がずらっと並んでいますよ。
あの人やこの人など、テレビでよく見る芸能人の方がいっぱいです。
土屋太鳳さんとか。
茅の輪をくぐり、半年間の穢れを祓ったので、そろそろ車折神社から出ましょう。
6月下旬の車折神社は、参拝者が少なかったですよ。
なお、車折神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。