5月15日に京都市中京区の下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)に参拝した後、南東に5分ほど歩いて高瀬川の一之船入を訪れました。
高瀬川には、かつて二条から四条まで9ヶ所の入江が造られましたが、現在残っている入江は二条の一之船入だけです。
その一之船入には、高瀬舟が浮かんでおり、旅行者や観光客の方に人気の観光名所となっています。
清らかな高瀬川の流れ
一之船入には、地下鉄の京都市役所前駅から北東に5分ほど歩くと到着します。
高瀬川は、保津川を開発した角倉了以(すみのくらりょうい)とその子の素庵(そあん)によって、江戸時代初期に開削されました。
江戸時代の京都の物流を支えたのは、この高瀬川であり、伏見から多くの物資が京都に運ばれてきました。
高瀬川は、水深がとても浅いので、普通の舟では通ることができません。
そのため、浅瀬でも執行できるように底を平たくした舟を用いて物資を運んでいました。
その船が高瀬舟であり、高瀬川の名の由来となっています。
一之船入には、今も高瀬舟が浮かんでいます。
浮かんでいると言っても、川が浅すぎるので、高瀬舟が底に着いているんですけどね。
昭和50年(1975年)に保津川から譲り受けた舟を改修して高瀬舟を一之船入に復活させました。
その後、昭和59年に多くの人々の寄付により兵庫県美方郡浜坂町の尾崎造船所で、2代目の高瀬舟を造船します。
現在の高瀬舟は、平成25年(2013年)に造船された3代目の高瀬舟になります。
3代目は、船大工喜左衛門により記録された「高瀬覚書」から高瀬川の寸法を基に古写真で見られる特徴も加えて、銅駝高瀬川保勝会が設計、滋賀県大津市本堅田の松井造船所によって造船されたものです。
全長13.4メートル、幅2.4メートルの3代目高瀬舟には、往時を偲ばせるような伏見の清酒の酒樽が積まれています。
高瀬川の後ろ側は、少し広くなっています。
お店が建ち並んでいるところは、かつては大きな入江だったのでしょうね。
それにしても、高瀬川の流れは清らかであります。
初夏に見る高瀬川は特に爽やかに感じますね。
これから暑い夏がやって来ますが、高瀬川の流れはちょっとした清涼感を人々に与えてくれます。
高瀬川沿いに南に歩きます。
早いもので、アジサイが咲き始めていました。
ツツジは、そろそろ終わりが近づいています。
高瀬川沿いを御池通まで歩いたところで、向きを東に変えます。
そして、御池大橋の中ほどまで歩き、鴨川を眺めました。
初夏の晴れた日に見る鴨川も爽やかでしたよ。