還幸祭前の下御霊神社に並ぶ神輿・2019年

5月15日に葵祭の路頭の儀を丸太町通で見た後、近くを散策しました。

丸太町通から寺町通を少し南に歩くと、下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)が建っています。

下御霊神社では、5月1日に神幸祭が行われ、5月19日の還幸祭までの間、境内に4基の神輿が置かれています。

今回の記事では、その4基の神輿を紹介します。

大宮神輿と若宮神輿

下御霊神社には、京阪電車の神宮丸太町駅から西に7分ほど歩くと到着します。

地下鉄だと丸太町駅から東に徒歩約7分です。

寺町通に面する朱色の鳥居の前にやって来ました。

鳥居

鳥居

いつもは人が少ない下御霊神社ですが、この日は、葵祭が行われていたためか、比較的人が多めです。

鳥居と正門をくぐり境内に入ります。

境内の中央には拝殿が建っています。

拝殿

拝殿

その拝殿に大宮神輿と若宮神輿が置かれていました。

大宮神輿(左)と若宮神輿(右)

大宮神輿(左)と若宮神輿(右)

神社の説明書によると、大宮神輿は、宝永の大火の翌年の宝永6年(1709年)に東山天皇や霊元上皇らの寄付になる金銅装方形神輿とのこと。

安永、天保、大正年間に修理を重ね現在まで伝えられています。

横から見た大宮神輿

横から見た大宮神輿

台輪(土台)の長さは5尺6寸(約170cm)と、全国でも最大級とされています。

また、天保年間(1830-1844年)に加えた四神額、鏡額などの金具は精緻を極め、幕末京都金工の粋であるとのこと。

ひとまず拝殿の後ろに建つ本殿にお参りをしましょう。

本殿

本殿

本殿には、非業の死を遂げた八所御霊が祀られています。

災厄にみまわれないようにしっかりとお願いしておきましょう。

本殿側からの方が拝殿の上の神輿を見やすいです。

若宮神輿(左)と大宮神輿(右)

若宮神輿(左)と大宮神輿(右)

大宮神輿の隣にある若宮神輿は、宝永以降に狭い道を巡行するために新造し、寛保3年(1743年)に改造が加えられています。

横から見た若宮神輿

横から見た若宮神輿

台輪は4尺7寸(約142cm)あります。

大宮神輿よりも、やや小さいようですが、それでも立派な神輿です。

鳳輦形神輿

境内の北側には、鳳輦形神輿(ほうれんがたみこし)が置かれています。

鳳輦形神輿

鳳輦形神輿

鳳輦は、天皇の乗物である乗輿の中で第一に位置するもので、祭礼では神霊を遷し乗せる最も重要な祭器です。

下御霊神社の鳳輦は明治19年(1886年)に新造されました。

しかし、近世の形式であったため、有職(ゆうそく)を重んじる観点から祭神の神霊の乗り物にそぐわないということで、大正12年(1923年)に有職故実家でもあった当時の社司の出雲路通次郎が、平安から鎌倉初期の形式に即して設計監督し、京都の名工たちに依頼して新造したそうです。

鳳輦形神輿は、大宮神輿や若宮神輿と比較すると新しいですが、形はそれら2基よりも古いものなんですね。

猿田彦神輿

境内の西側に祀られている猿田彦神社に置かれているのは、猿田彦神輿です。

猿田彦神輿

猿田彦神輿

明和7年(1770年)に後桜町天皇他の寄付になる髹漆装向唐破風造という珍しい形式で、腰輿(およよ)から発生した格の低い神輿とのこと。

神幸列の先導役として延宝4年(1676年)に明正天皇の寄付になる猿田彦神面を納めています。

下御霊神社では、5月18日の午後7時から宵宮、19日の午前10時から還幸祭が行われます。

この2日間は、露店も出るそうですよ。

還幸祭では、境内を出た神輿が東の鴨川に向かい、そこから少し南下してから西へと進みます。

東堀川通が折り返し地点となっており、午後6時に下御霊神社に戻ってきます。

令和元年5月1日の神幸祭では、京都御苑の中を神輿が巡行したそうですよ。

正門の近くでは、提灯が奉納されており、祭りの雰囲気が出ていました。

提灯

提灯

なお、下御霊神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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