2月上旬。
京都市下京区の東本願寺に参拝しました。
東本願寺は、京都駅近くに建つ大寺院で、京都駅ビルからも、その諸堂を見ることができます。
そのため、京都駅から最も近い観光名所として、京都に訪れた多くの人に認知されていることでしょう。
御影堂と阿弥陀堂にお参り
東本願寺には、京都駅から北に徒歩約5分で到着します。
入り口の御影堂門(ごえいどうもん)の前には、蓮華の形をした噴水があり、いつも水が流れています。
夏は涼しげな噴水ですが、冬は見ているだけで寒く感じます。
豪壮な御影堂門をくぐると正面にこれまた大きな御影堂が建っています。
御影堂には、浄土真宗の開祖である親鸞聖人のご真影が祀られています。
それでは、中に入ってお参りをしましょう。
御影堂の次は、阿弥陀堂にお参りです。
阿弥陀堂には、本尊の阿弥陀如来が祀られています。
他にも、親鸞聖人が和国の教主として仰いだ聖徳太子、親鸞聖人が師と仰いだ7人の高僧が祀られています。
尾神嶽殉難事故
御影堂と阿弥陀堂は、渡り廊下でつながっています。
その渡り廊下には、大橇(おおぞり)が置かれています。
元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で、東本願寺の諸堂が焼失しました。
御影堂と阿弥陀堂も、この時に焼失しています。
両堂の再建が始まったのは、それから16年後の明治13年(1880年)でした。
上の写真に写っている大橇は、上越市吉川区川谷の尾神嶽(おがみだけ)で伐り出したケヤキの巨木を運ぶために使用したものです。
しかし、巨木の搬出や運搬の際、引き綱が切れて事故が相次ぎました。
そこで、より強い引き綱を必要とし、女性の髪の毛と麻をより合わせて編まれた毛綱(けづな)を使用することになります。
下の写真のガラスの箱に入っているのが、その時の毛綱ですが、写真だとガラス面が反射して見にくくなっています。
毛綱は、全部で53本が寄進され、最も大きいものだと長さ110m、太さ40cm、重さ約1トンにも及んだとのこと。
東本願寺に展示されている毛綱は、新潟県の門徒から寄進されたものだそうです。
明治16年3月12日。
上越市吉川区川谷の黒姫神社から伐りだしたケヤキを大橇に載せ、山間の雪を踏み固めた道を進んでいる時、尾神嶽山腹の吹切(ふっきり)と呼ばれる場所にさしかかると、突然、雪崩が発生しました。
この時の雪崩で27人が亡くなり、負傷者も約90名に上りました。
大橇と毛綱の近くには、上越市在住の大橋広史氏が制作した尾神嶽殉難事故のジオラマも展示されています。
御影堂と阿弥陀堂は、明治28年に工事を終えて再建されましたが、その過程で犠牲になった人々がいたんですね。
阿弥陀堂から外に出て境内の南東へ。
ここには鐘楼が建ち、そして南には京都タワーが見えます。
帰りは、阿弥陀堂門から外に出ることに。
阿弥陀堂門の屋根の所々にシートが貼られています。
阿弥陀堂門の屋根も、いずれは修復工事が行われるのでしょうね。
なお、東本願寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。