9月19日に京都市左京区の平安神宮に参拝した後、そこから東に5分ほど歩いて満願寺を訪れました。
満願寺には、過去に春の桜の時期に参拝したことがあります。
これまで、あまり訪れたことがないお寺でもあり、たまたま近くを通りかかったのを何かの縁と感じ、久しぶりにお参りしていくことにしました。
文子天満宮の拝殿が倒壊
満願寺の最寄り駅は、地下鉄東山駅です。
駅からは、北東に徒歩約10分で、満願寺の山門前に到着します。
住宅街の中に建つ満願寺は、訪れる人が少なく、この日も境内に入る前に中が無人だとわかりました。
山門をくぐり、左に目をやると、文子天満宮の拝殿が倒壊していました。
どうやら、9月上旬に京都に上陸した台風21号の被害にあったようです。
満願寺は、天慶3年(940年)に多治比文子(たじひのあやこ)が、菅原道真の霊夢を感じて西ノ京片原町朝日寺の西珍とともに右近の馬場に一宇を建立し、道真自作の天満大自在天を祀ったのが始まります。
その天満大自在天を祀る文子天満宮の拝殿が、一夜にしてこのような無残な姿になってしまいました。
後ろの本殿は無事のように見えますが、細かいところまで見ていないので、どこかに被害を受けているかもしれません。
文子天満宮の隣の小さな祠も歪んでいました。
この祠も台風の被害を受けたのでしょうね。
とりあえず本堂にお参りをしましょう。
満願寺が当地に移転されたのは、元禄10年(1697年)のことで、この時に住持の宗遍僧都が真言宗から日蓮宗に改宗しています。
台風で木も被害を受けたようです。
本堂の脇にあるのは、映画監督の溝口健二の石碑です。
溝口健二が専属となっていた大映の社長の永田雅一は、当寺を菩提寺としていたことから、境内に溝口健二の碑を建立し分骨したそうです。
庫裡(くり)の近くに置かれている大きな石碑は、俊寛僧都故居の碑です。
かつて、この地には後白河法皇の近臣であった俊寛が居住していたと伝えられています。
俊寛は、鹿ケ谷の山荘で平家を倒すための密会をしていたことが平清盛に知られ、島流しになっています。
庫裡の近くに建つ鐘楼も、台風の被害はなさそうに見えます。
文子天満宮の拝殿が倒壊するほどの強風だったのによく耐えたものです。
もしも、俊寛僧都故居の碑も倒れていたら大惨事になっていたかもしれません。
久しぶりに参拝した満願寺が、台風の被害にあっていたとは。
何とも悲しいお参りとなってしまいました。
なお、満願寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。