四条通から新京極通を北に少し歩くと、左手に小さなお寺が建っています。
このお寺は、染殿院(そめどのいん)というお寺です。
染殿院の入り口は、全然目立たないので、ここにお寺があると気付く人はほとんどいません。
でも、染殿院はとても歴史のあるお寺で、知る人ぞ知る子宝、安産祈願のお寺なのです。
藤原明子が安産祈願
染殿院には、阪急電車の河原町駅から西に5分ほど歩くと到着します。
隣のビルが工事中だったため、染殿院の入り口がさらに目立たなくなっていました。
参道に入ります。
参道はとても狭いのですが、足元には背の低いお地蔵さまが数体祀られています。
それでは本堂にお参りをしましょう。
染殿院の創建は、大同3年(808年)で、開基は空海です。
空海は当院に留まり、十住心論を清書調巻したことから十住心院と称しました。
また、釈迦院、敬禮寺(きょうらいじ)、清和院釈迦堂、釈迦堂と呼ばれることもありました。
染殿院が、子宝や安産祈願のお寺として知られるようになったのは、文徳天皇の后である藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)が、本尊として祀られている地蔵菩薩に祈願して、後の清和天皇を出産してからです。
以来、当院に祀られている地蔵菩薩は染殿地蔵と呼ばれるようになりました。
苔寺を作庭した染殿地蔵
染殿院に祀られている染殿地蔵には、興味深い言い伝えが残っています。
染殿院の説明書によると、後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏に天龍寺の創建をすすめた夢窓国師が、西京区に苔寺を創建し、泉水の美観を好み築山の構えを営もうとしたとき、石が重くて動かすことができなかったそうです。
すると、たまたま僧が現れ、1人で大石を動かし、夢窓国師の思い描いていたとおりに庭園を作りました。
僧の働きに歓喜した夢窓国師は、何かお礼をしようと思案します。
そして、その僧が袈裟を持っていなかったのに気づいた夢窓国師は、自ら着けていた袈裟を贈りました。
僧は、袈裟を受け取ると、錫杖(しゃくじょう)を地に建てたまま消え失せてしまいました。
後日、夢窓国師が四条付近に托鉢します。
たまたま四条京極の染殿地蔵堂にお参りをしたので、扉を開けて拝むと、この前僧に贈った袈裟が地蔵菩薩の肩にかかっていました。
手に錫杖がなかったことから、夢窓国師は、この前の僧は染殿地蔵の化身だったと知り、感激の涙を流したということです。
本堂の近くに置かれているつくばい。
つくばいの後ろには、子宝祈願や安産祈願の絵馬がたくさんかかっていました。
境内はとても狭いですが、これだけの絵馬がかかっているので、お参りに訪れる人が多いことがわかります。
帰りは、お寺の南側にある林万昌堂という甘栗屋さんから四条通に出ます。
林万昌堂は、明治7年(1874年)創業ということですから老舗の甘栗屋さんなんですね。
染殿院の参拝後にお土産として甘栗を買っていくと良いでしょう。
なお、染殿院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。