1月上旬に京都府宇治市に訪れた際、興聖寺(こうしょうじ)に参拝してきました。
興聖寺に参拝するのは久しぶりです。
そして、新年にお参りするのは、これが初めてであります。
参拝者は少な目
興聖寺の最寄り駅は、京阪電車の宇治駅です。
駅から東に15分ほど歩くと、参道の入り口に到着します。
JR宇治駅からだと、もう3分ほど時間がかかりますね。
参道の入り口には、興聖寺と刻まれた石が立っています。
石の古びた感じが、歴史を感じさせますね。
参道は緩やかな上り坂となっていて、琴坂と呼ばれています。
琴坂では、秋になるときれいな紅葉が見れるのですが、現在は木々からすっかり葉がなくなって視界が良好です。
そして、参拝者の姿もほとんどありません。
琴坂の奥に建つ竜宮門。
この竜宮門が興聖寺の山門です。
竜宮門の奥には、薬医門も建っています。
薬医門をくぐって正面に建っているのが本堂です。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
興聖寺は、曹洞宗の開祖である道元が、天福元年(1233年)に京都市伏見区に創建したのが始まりです。
現在地に移転したのは江戸時代のことで、淀藩主の永井尚政が、父直勝が長久手の戦いで討ち取った池田信輝の供養をしたいと思っていたことから、興聖寺を再興し、父と池田信輝の冥福を祈ったそうです。
本堂の近くでは椿が咲いていました。
境内の西側には、三面大黒尊天が祀られています。
大黒さまにもお参りをしておけば、福を授かれるかもしれませんね。
十三重石塔の旧相輪
境内も琴坂と同じく、冬らしい景色です。
初夏には、サツキが咲いて華やかなのですが、さすがに冬にその華やかさを求めてはいけませんね。
境内には、宇治公園にある塔の島に建っている十三重石塔に使われていた旧相輪(そうりん)が置かれています。
塔の島の十三重石塔は、弘安9年(1286年)に奈良西大寺の僧叡尊によって宇治橋の架け替えが行われた時に供養塔として建立されたものです。
十三重石塔は、何度も再建が繰り返され、江戸時代には永井尚政も修理をしています。
現在の十三重石塔は、明治41年(1908年)に再建されたもので、その時、使われなくなった旧相輪と九重目の笠石が、興聖寺境内に置かれています。
ちなみに十三重石塔の一部を石川五右衛門が盗み、それが藤森神社の手水鉢に使われていると言われています。
鐘楼の近くでは、センリョウがたくさんの実をつけていました。
薬医門近くにある秋葉大権現。
近くに寄れるのかどうかわからなかったので、秋葉大権現にはお参りせず、境内から出ました。
なお、興聖寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。