石川五右衛門が盗んできた藤森神社の手水鉢台石

神社に行くと必ずあるもののひとつに手水鉢があります。

参拝時に手や口の中を清める水が溜められているあの鉢ですね。

手水鉢には、言い伝えが残っているものがよくあります。

京都市伏見区の藤森神社(ふじのもりじんじゃ)にある手水鉢もそのひとつです。

なんと、あの大泥棒の石川五右衛門が盗んできた石を台石に使っているのです。

台石はどこから盗んできたものなのか

下の写真に写っているのが、藤森神社の手水鉢です。

藤森神社の手水鉢

藤森神社の手水鉢

この手水鉢の台石が、石川五右衛門が盗んできたものと伝えられています。

ところで、五右衛門はどこから台石を盗んできたのでしょうか。

手水鉢の説明書には、台石は宇治市の浮島にある十三重石塔の上から5番目の石を五右衛門が盗んできたもので、今でも十三重石塔のその石だけ色が異なっていると書かれていました。

これは興味深いと思い、以前に宇治に訪れた時に撮影した十三重石塔の写真を見てみました。

しかし、上から5番目の石の色が、他と異なっているということはないように見えます。

宇治市の浮島の十三重石塔

宇治市の浮島の十三重石塔

それもそのはず。

現在の十三重石塔は、明治41年(1908年)に再建されたものです。

以前のものは宝暦6年(1756年)に大洪水に遭い川底に沈んでしまいました。

つまり、石川五右衛門が生きていた安土桃山時代の石塔と現在の石塔は違うものなのです。

なので、藤森神社の手水鉢の台石が宇治の十三重石塔の一部であったのかどうかを確かめることはできません。

南禅寺の三門にも残る石川五右衛門の伝説

京都市左京区の南禅寺にも石川五右衛門の伝説が残っています。

南禅寺の三門

南禅寺の三門

五右衛門は、この三門に上り「絶景かな」と言ったと伝えられています。

しかし、この伝説は実は嘘です。

現在の南禅寺の三門は、藤堂高虎が、大坂夏の陣(1615年)の戦没者を弔うために寛永5年(1628年)に建立したものです。

ところが、五右衛門は、三門が建てられる30年以上前に豊臣秀吉によって釜茹での刑に処せられています。

もしも、五右衛門が本当に南禅寺の三門に上り「絶景かな」と言ったのであれば、秀吉に処刑された五右衛門は偽物ということになりますね

藤森神社の手水鉢の台石や南禅寺の三門の伝説は、石川五右衛門が大泥棒であったということを後世に伝えるために泥棒たちによって作られた話だったのでしょうか。

それとも、五右衛門は義賊であったとも伝えられているので、当時、彼を慕う人々が徳川の世になって、こういった伝説を残したのでしょうか。

いずれにしても数々の伝説が残っているというのは、それだけ石川五右衛門が当時の人々に大きな影響を与えたということなのでしょうね。

なお、藤森神社と南禅寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。