京都市右京区の龍安寺の近くに住吉大伴神社という神社が建っています。
その名のとおり住吉大神と大伴神社をあわせて祀っています。
ところで、なぜ住吉の神さまと大伴の神さまを一緒に祀っているのでしょうか。
伴氏の衰退
社名に大伴が入っているのは、大伴氏と関係があります。
神社の説明書にそのあたりのことが書かれているので、簡単に紹介しておきます。
大伴氏は、大和国で勢力を振るっていましたが、やがて平安遷都(794年)によりこの地に移住し、その祖先の神である天押日命(あめのおしひのみこと)を祀りました。
大伴氏は、古来、部門の家として物部氏とともに皇居を警衛し禍乱を鎮圧して功を立てます。
その後、大伴氏は伴氏と改めます。
淳和天皇の諱(いみな)が大伴親王だったから、大伴氏と名乗ることを遠慮したんですね。
貞観8年(866年)に応天門の変が起こり伴氏は衰退。その後、伴氏神社の名も世に疎くなっていったようです。
住吉神社と呼ばれるようになる
伴氏神社は、いつの頃からか住吉神社と称せられるようになりました。
その理由は、伴氏の衰微と共に葛野郡に山荘を営む徳大寺家が当地を領するようになり、当家が和歌の神として崇めた底筒男命(そこつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神を祀ったことによります。
それ以来、伴氏神社は住吉神社として龍安寺、谷口地区の氏神として崇敬されます。
そして、昭和17年(1942年)8月21日に許しを得て、住吉三神及び大伴祖神を合祀し、社名を住吉大伴神社と変更し今日に至っています。
住吉の神の和と大伴の神の武、それぞれ和武合体中庸を保ち、和平の神と崇められているそうです。
住吉大伴神社の鳥居は真っ白な石造り。
鳥居をくぐって境内に入ると、背の高い神木があり、その奥に拝殿が建っています。
ここで、住吉三神と大伴祖神にお参りをします。
和平の神さまですからね、世界平和をしっかりと祈願しておきましょう。
現在の本殿は昭和のはじめの建築で、柱間間口一間、奥行一間半の縮小型住吉造で、全国唯一の建物だそうです。
また、昭和53年に拝殿、神饌所が新築され、それと同時に萱葺の本殿屋根を銅葺に変えています。
住吉大伴神社は、観光客で賑わうきぬかけの道沿いに建っているので、人目に触れやすいのですが、参拝される方は少ないようですね。
龍安寺や仁和寺の拝観とともに住吉大伴神社にもお参りしてみてはいかがでしょうか。
なお、住吉大伴神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。