源頼朝が参道付近に植えた頼朝松・石清水八幡宮

京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)には、源頼朝ゆかりの松の「頼朝松」があります。

源頼朝と言えば、鎌倉幕府を開いたことで有名ですね。

頼朝は少年時代を京都で過ごしていますが、平治の乱で平家に敗れて後は、伊豆国蛭ヶ小島に流罪となります。

以後は、関東との関わりが深くなり、京都とは縁が薄くなった印象がありますね。

でも、頼朝は、その生涯で5度、石清水八幡宮に参詣しているということなので、意外と京都との関わりは深いように思えます。

源頼朝が植えた6本の松

石清水八幡宮は、昔から源氏の崇敬が篤い神社でした。

康平6年(1063)に源頼義が、由比ヶ浜辺に石清水八幡宮を祀ったのが鶴岡八幡宮です。

その後、鶴岡八幡宮は、源頼朝が源氏再興の旗上げをした治承4年(1180)に由比ヶ浜辺から鎌倉に遷され、建久2年(1191)には、上下両宮の現在の姿に整えられました。

このように源頼朝と鶴岡八幡宮が、深い関係にあることはよく知られていますね。

源頼朝は、建久6年4月3日に妻の北条政子と娘を連れて、石清水八幡宮に参拝していることが増鏡に記述されています。

また、同月15日には頼家とともに公式参拝も行っています。

源頼朝が49歳の時、石清水八幡宮に参拝し、鎌倉から6本の松を持参して当地に植えました。

そして、帰りには当宮から持ち帰った松を鶴岡八幡宮に植えたと伝えられています。

年齢から推定すると、建久6年の参拝の時の出来事だと思います。

頼朝松が植えられているのは、石清水八幡宮の駐車場付近です。

表参道と裏参道の入口付近ですね。

頼朝松

頼朝松

六本松のうち生き残っていた1本が昭和22年(1947年)に落雷で焼失したため、昭和30年に2代目の松が奉納されたとのこと。

現在の頼朝松は、その2代目です。

頼朝松は、まっすぐ上に向かって伸びておらず、斜めに伸びていますね。

倒れるのを防止するために支えの木があります。

幹はさらに途中から右に向かって曲がっています。

幹が途中で曲がっている

幹が途中で曲がっている

このまま成長していくと、樹形がL字型に育つのではないでしょうか。

そうなると、もう1本支えの木が必要になりそうです。

建久6年の源頼朝の上洛は、東大寺大仏殿の落慶式へ臨むことが理由でした。

石清水八幡宮への参拝は、そのついでだったのかどうかはわかりませんが、戦乱が治まって数年後のことだったので、太平の世が長く続くことを祈願したのかもしれませんね。

その願いを込めて六本松を植えたのかどうかはわかりません。

なお、石清水八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

関連記事