京都市上京区の京都御苑の東に清浄華院(しょうじょうけいん)というお寺があります。
清浄華院は、浄土宗四ヵ本山のひとつに数えられます。
このお寺には、重要文化財の「泣不動縁起」絵巻が伝わっており、境内に建つ不動堂には、泣不動と呼ばれる不動明王が祀られています。
いったい、なぜ、泣不動と呼ばれるようになったのでしょうか。
山門の真横に建つ不動堂
清浄華院は、地下鉄今出川駅から東に徒歩10分ほどの場所に建っています。
京阪電車の出町柳駅からだと西に10分ほどですね。
山門をくぐり境内の奥に進むと、左側に本堂が建っています。
泣不動が祀られている不動堂が見当たりませんね。
どこにあるのでしょうか。
境内は、そんなに広くないので、入口から全体を見渡すことができるのですが、不動堂がどこにあるのか見つけることができません。
本堂まで歩いて行ったところで、振り返ると、山門の真横にきれいなお堂があるのに気づきました。
どうやら、これが不動堂のようです。
入口から境内を見ても、山門で死角になるため、わからなかったんですね。
山門をくぐってすぐに左に行けば、不動堂に気付いたのですが。
身代わりになった不動明王
私が清浄華院に訪れたのは、節分の日でした。
不動堂の入口が開いており、誰でも、中に入ってお参りできるようになっていました。
普段からお参りできるのか、それとも特別な日だけなのかはわかりません。
中には、半丈六(約140cm)の不動明王座像が安置されています。
泣不動尊は、絵像で、本体は秘仏となっています。なので、お参りをするのは、この半丈六の不動明王ということになります。
ある時、三井寺の高僧・智興(ちこう)が死病にかかります。
弟子たちが、陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明に占わせたところ、智興は病気から免れることはできないが、誰かが身代わりになって、命を取り換えれば延命できると言いました。
しかし、弟子たちはそんな恐ろしいことはできないため、身代わりになろうとしません。
ところが、末席の弟子の証空が、自分が身代わりになると言い、安倍晴明は病気を彼に移す秘法を施しました。
病気を移された証空は、あまりの苦しさに耐えかねて、日頃拝んでいる絵像の不動明王に助けを求めました。
すると、夢の中に不動明王が現れ、「汝(なんじ)、師に代わる、我、汝に代わらん」と言う声が聞こえ、壁から絵像が落ちてきて、証空の病気はたちまち癒えました。
その後、不動明王は冥途に赴きましたが、閻魔大王を平伏させたため、誰も死なずに済んだということです。
清浄華院の不動明王が泣不動と呼ばれているのは、不動明王が証空の志に感動し涙を流したからだと伝えられています。
また、証空に代わって病気になったことから、泣不動は、身代わりのご利益を授けてくれると信仰されています。
現在、清浄華院に安置されている泣不動は、鎌倉時代に三井寺の向阿(こうあ)によって持ち込まれたものだとか。
不動堂は江戸時代に建立され、平成23年(2011年)に法然上人800年大遠忌(だいおんき)にあたって再建されたということです。
だから、不動堂はきれいな姿をしていたんですね。
なお、清浄華院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。