商売繁盛のご利益を預けてくれる神さまとして有名なのは、ゑびす様ですね。
実は、このゑびす様とされる神さまは、2人います。
ひとりは蛭子神(ひるこのかみ)、もうひとりは事代主命(ことしろぬしのみこと)です。
京都市東山区の恵美須神社に祀られているのは、事代主命の方です。
ところで、なぜ、事代主命がゑびす様なのでしょうか。
国譲りに貢献した事代主命
事代主命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の子です。
その昔、天照大神から遣わされた建御雷神(たけみかづちのかみ)が、大国主命にこの国を天照大神に譲るようにと迫りました。
大国主命は、自分の一存では決めれないので、子の事代主命にも話をして欲しいと言います。
その時、事代主命は、出雲の美保の岬で釣りをしていて不在でしたが、すぐに大国主命のもとに呼び戻され、建御雷神と対面しました。
事代主命は、建御雷神のいかつい形相に恐れをなし、国譲りに同意して、海の彼方に隠れてしまいました。
その後、大国主命も大きな神殿を建ててもらうことを条件に国譲りに同意し、この国は天照大神が統治するようになりました。
海の果てから助けに来る事代主命
ゑびす様は、海の果てからやってきて、人々に福を授ける神さまです。
国譲りに貢献し、海に隠れた事代主命は、その後も何かあった時には、海の果てから人々を助けにやってきてくれると信じられていました。
このような信仰から、事代主命をゑびす様として祀るようになったとされています。
海の果てに隠れた事代主命は、漁業の神さまとして崇められていましたが、やがて商売繁盛の神さまとしても信仰されるようになりました。
なお、事代主命の父の大国主命は農業の神さまとして信仰されており、こちらも後に商売繁盛の神さまとして信仰されるようになっています。
「大国」を音読みすると「だいこく」となることから、大国主命が、大黒さまとされたわけですね。
東山区の恵美須神社の境内には、2体のゑびす様の像が祀られています。
一体は、下の写真に写っているゑびす様です。
こちらのゑびす様は、なかなか年季が入っていますね。
もう一体のゑびす様は、笑顔が素敵です。
いかにも福を授けてくれそうな笑顔ですね。
恵美須神社の創建は、鎌倉時代の建仁2年(1202年)です。
栄西が、宋から帰国する途中、船が暴風雨に遭って遭難しそうになった時、ゑびす様が現れて、難を逃れることができたことから、建仁寺の創建にあたり、その境内に鎮守社として恵美須神社を建てたということです。
海の果てから事代主命がやってきて、栄西を助けたということですね。
ちなみに恵美須神社には、大国主命、つまり大黒さまも祀られています。
ここでお参りすれば、ゑびす様と大黒さまの両方から商売繁盛のご利益を授けてもらえますね。
なお、恵美須神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。