京都市下京区の五条河原町の近くにある麩屋町通(ふやちょうどおり)を歩いていたところ、小さな神社が建っているのに気づきました。
京都の町には、こういった小さな神社がよくあるんですよね。
おそらく地元の人たちが、町の発展を願ったりして建てたのだろうと思ったのですが、そうではありませんでした。
この小さな神社は、朝日神明宮(あさひしんめいぐう)という歴史のある神社だったのです。
西本願寺並みの広さがあった境内
下の写真に写っているのが朝日神明宮です。
隣のビルに威圧されるような感じでひっそりと建っています。
普段なら、こういった小さな神社は素通りしてしまうのですが、鳥居の前に京都市の説明書が立っていたので、何か興味深いことが書いてあるかもしれないと思い、お参りしていくことにしました。
朝日神明宮は、貞観年間(858-876年)に現在の亀岡市に創建されたのが始まりとのこと。
その後、戦国時代の元亀3年(1572年)に現在地に遷って来たそうです。
朝日神明宮の祭神は天照大神。
境内は、東は河原町通から西は富小路通、北は松原通から南は五条通まであったとのこと。
これは、現在の西本願寺と同じくらいの広さなので、当時はとても大きな神社だったということですね。
朝日神明宮は、幸神(さいのかみ)の森とも呼ばれており、末社が8社ありました。
その8社は、竈神社(かまどじんじゃ)、稲荷社、祓川社(はらいかわしゃ)、恒情神社(こうじょうじんじゃ)、人丸社(ひとまろしゃ)、飛梅天神(とびうめてんじん)、八幡春日社、猿田彦社です。
しかし、これだけ多くあった末社も江戸時代の天明の大火(1788年)と元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で多くが焼失し、現在は猿田彦社だけが残っています。
では、ただ1社だけ残った猿田彦社はどこにあるのかというと、京都市上京区の相国寺の東に建つ幸神社(さいのかみのやしろ)がそれです。
猿田彦社も、以前は広い境内を持っていたようです。
しかし、天明の大火で類焼した後、再建され現在にいたってますが、境内はとても狭く、朝日神明宮よりも少し広い程度となっています。
朝日神明宮の鳥居をくぐって境内へ。
目の前には、小さな本殿が建っている以外、特に目立つものはありません。
通常は、鈴の下に賽銭箱が置かれているのですが、朝日神明宮にはありません。
左側の柱にそれらしい細長い箱のようなものがあったので、その中に賽銭を入れてお参りしておきました。
今は小さな神社となってしまいましたが、朝日神明宮は、このまま長くこの地にあり続けることでしょう。