京都市下京区の五条大橋の西側に牛若丸と弁慶が闘っている像があります。
以前は、五条通の中央分離帯に置かれていたのですが、工事で近くの牛若ひろばに移動しました。
2012年9月下旬に五条大橋の近くを通りかかってみると、牛若丸と弁慶が元の中央分離帯に戻っているのに気づきました。
車の通りが多い場所での対決
五条通は、京都市内でも交通量が多い道路です。
車の流れが途切れることがあまりありません。
牛若丸と弁慶の像を見るために近くの横断歩道から中央分離帯へと移動。
時間の経過とともに水が噴き出したり、止まったりする噴水があります。同じような噴水は、京都ホテルオークラ近くの御池通にもありますね。
この噴水の向こう側に牛若丸と弁慶がいます。
しっかりと、中央分離帯の真ん中で対決していますね。
もっと近くに寄って写真を撮影。
牛若丸は、牛若丸らしい恰好をしていますが、弁慶はイメージとかなり違います。
弁慶と言えば、山法師の姿で長刀を構えているといったイメージがあるのですが、五条通の弁慶は時代劇に出てくる江戸時代の大工のようです。
中央分離帯の工事中、牛若丸と弁慶の像が置かれていた牛若ひろばは、今ではすっきりとしています。
いつもいた牛若丸と弁慶が、突如、姿を消したので、最初はどこに行ったのかと辺りを探し回りましたよ。
そうしたら、元の中央分離帯に戻っていたので、一安心しました。
ちなみに牛若ひろばに置かれていた時の牛若丸と弁慶の像の写真は、以下の過去記事に掲載していますので、ご覧になってください。
扇塚
五条大橋の近くには、牛若丸と弁慶の像の他に扇塚も置かれています。
平安時代初期、扇は、この地で初めて作られたそうです。
鎌倉時代には、一ノ谷の戦いで亡くなった平敦盛の妻の蓮華院尼が、この辺りで、出家後に寺僧とともに扇を作ったとも伝えられています。
牛若丸と弁慶が五条大橋で出会い、その後、一ノ谷の戦いで平敦盛が彼らに討ち取られ、蓮華院尼が、この地で扇を作るようになるとは、何か運命めいたものを感じます。
また、五条大橋の西北詰めに御影堂と呼ばれた新善光寺があり、そこで、御影堂扇も作られていました。
なお、扇塚は、御影石で造られています。御影堂とかけて御影石を使ったのかどうかは、わかりません。
五条大橋に立ち寄った時は、中央分離帯の牛若丸と弁慶の像とともに五条大橋のほとりに置かれた扇塚も見ていってください。