京都市北区の西賀茂を歩いていると、大将軍社と刻まれた石柱を発見しました。
大将軍社は、平安遷都(794年)の際に桓武天皇が王城鎮護のために都の四方の隅に祀った社
です。
そのうちのひとつが西賀茂の地にも存在していたんですね。
石柱だけと思ったら実は境内もあった
その西賀茂の大将軍社の石柱が、以下の写真になります。
近くに鳥居も何もないので、ここは、大将軍社の跡地なのだろうと思い、とりあえず写真だけを撮って帰宅しました。
で、家で西賀茂の大将軍社のことを調べてみると、実は近くに境内があったことに気づきました。
これはうっかり。
西賀茂の大将軍社は、旧今原村、鎮守庵村、総門村、田尻村の産土神(うぶすながみ)として崇敬されてきました。
祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)で、方除、安産の神様として信仰されています。
また、大将軍社は、角社(すみのやしろ)とも呼ばれており、平安京の西北隅の方違(かたがた)えの神様としても信仰されていたと考えられているそうです。
なお、西賀茂の大将軍社の写真は、「京都を歩くアルバム」さんの下記記事に掲載されていますので、ご覧になってください。
その他の大将軍社
先ほども述べましたが、大将軍社は、平安京の四隅に王城鎮護を目的として創建されました。
北を守っているのは、今宮神社の境内に建つ大将軍神社。
西を守っているのは、北野天満宮の近くに建つ大将軍八神社。
東を守っているのは、地下鉄東山駅の近くに建つ大将軍神社。
南を守っているのは、藤森神社の境内に建つ大将軍社。
これについては、以下の過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。
ところで、すでに4つの大将軍社が存在しているのに西賀茂の大将軍社があるのはどうしてなのでしょうか。
西賀茂の大将軍社だけでなく、上記の大将軍社も詳しい由緒についてはよくわかっていません。
北の守護神は、今宮神社の大将軍神社と述べましたが、西賀茂の大将軍社も北の守護神だったと伝えられています。
また、江戸時代以前は、大徳寺門前にもあったとされており、後に今宮神社境内に移されたともいわれています。
どれが本当の北の大将軍社なのかはわかりませんが、いずれも、平安京の北に位置しているので、しっかりと都の北側が守られていたことには違いなさそうです。
上記の他にも都を守っている大将軍社が、探してみれば発見できるかもしれません。
京都散策中に見つけた時は、またこのブログで報告します。