京都市東山区の東福寺には、たくさんの子院が建っています。
その中の芬陀院(ふんだいん)には、水墨画で有名な雪舟(せっしゅう)が造った庭園があります。
どのような庭園なのか、とても気になったので、5月上旬に芬陀院を訪れました。
雪舟庭園
芬陀院は、元享年間(1321-1324年)に一条経通が、定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建したのが始まりです。
山門をくぐると、参道の脇には、緑色の苔がびっしりと生えていました。
初夏や梅雨時は、苔がとてもきれいな季節。
なので、この時期には、苔が生えている庭園を拝観するのがおすすめです。
玄関で靴を脱ぎ、拝観受付へ。
受付には誰も人がいません。
「受付に人がいないときは、拝観料を置いていってください」といった旨のことが書かれていたので、お盆のようなものの上に300円を置いて、拝観案内を1部いただき、方丈の中に入りました。
方丈の南に配されているのが、雪舟庭園です。
手前に白砂が敷かれ、その向こうには苔のじゅうたんがあります。
雪舟は、子供のころ、お寺に預けられていた時、いつも絵ばかり描いていたので、お坊さんに柱にしばりつけられたことがありました。
その時、雪舟は、足の指を使い、自分の涙でネズミの絵を描きます。
その絵が、とても上手だったので、お坊さんは、雪舟が絵を描くことを許しました。
この話を聞いた一条兼良は、雪舟に亀の絵を描くように頼みます。
しかし、雪舟は、何日も筆をとりません。
そして、ある日、雪舟は庭に出て、石を動かし、筆ではなく石組で亀を描きました。
夜になって、庭先で不審な音がするのに気づいた鶴栖和尚は、障子の隙間から庭を見ました。
なんと、雪舟が造った亀の石組が動いていたのです。
不安になった和尚さんは、雪舟になんとかするようにお願いしたところ、雪舟は亀の甲に大きな石を載せました。
以来、亀の石組は動かなくなったそうです。
これを聞いた一条兼良は、大いに喜び、雪舟に寺を与えようとしましたが、雪舟はこれを断り、明に渡ったそうです。
芬陀院の雪舟庭園にも石組の亀があります。
下の写真の右に写っているのが、それです。
ちなみに亀の左に写っている石組は、折鶴です。
庭に鶴と亀がいることから、雪舟庭園は鶴亀の庭とも呼ばれています。
反対側から雪舟庭園を鑑賞。
この時期は、観光客の方が少ないので、縁側に座ってのんびりと庭を眺めることができます。
縁側の障子が一定間隔で開けられ、そこには座布団が敷かれていました。
縁側に座るよりも、こちらの方がじっくりと庭を観ることができますね。
東庭
雪舟庭園の他に建物の東にも庭園があります。
東庭は、昭和の作庭家の重森三玲(しげもりみれい)が造ったものです。
雪舟庭園よりも小さめです。
地面には、びっしりと苔が生えています。雨が降ると、もっとみずみずしくなるのでしょうね。
ちなみに雪舟庭園は、昭和14年(1939年)に重森三玲によって復元修理が行われています。
東庭の奥には、茶席の図南亭(となんてい)があります。
図南亭には円窓があるので、そこから東庭を眺めてみました。
庭がすべて見えない感じが、いろいろと想像を掻き立てます。
西側の庭
芬陀院には、もうひとつ庭があります。
その庭は、図南亭の西側にあります。
こちらの庭も苔がびっしり。
他の庭よりも、苔の緑が鮮やかでした。
東福寺に参拝した際は、芬陀院にも訪れてみてください。
庭園の苔を見ていると、心が和みますよ。