東山区と下京区の新善光寺

京都には、同じ名のお寺や神社が複数建っていることがあります。

新善光寺というお寺も東山区と下京区の2か所に建っています。

こういった同じ名のお寺があることを知ると、何か関係があるのか、ついつい調べてしまいます。

ということで、今回は東山区と下京区の新善光寺を紹介します。

東山区の新善光寺

まずは、東山区に建つ新善光寺です。

JR東福寺駅から東に15分ほど歩いた辺りに泉涌寺(せんにゅうじ)があります。

その境内に新善光寺は建っています。

東山区の新善光寺

東山区の新善光寺

東山区の新善光寺は、鎌倉時代に後嵯峨天皇の勅願で一条大宮に創建されたのが始まりです。

寺名は、信州の善光寺の本尊と同体の阿弥陀如来立像を本尊としたことが由来です。

その後、応仁の乱(1467年)で焼失し、文明5年(1473年)に泉涌寺境内に再建されました。

下京区の新善光寺

下京区の新善光寺は、地下鉄五条駅から東に10分ほど歩いた辺りに建っています。

下京区の新善光寺

下京区の新善光寺

門の前の説明書によると、下京区の新善光寺の本尊は、信州の善光寺の阿弥陀如来像の分身と伝えられているそうです。

もともとこの本尊は、南都(奈良県)にあったのですが、天仁2年(1109年)に堀川松原に創建された来迎堂新善光寺に祀られることになりました。

ちなみに堀川松原は、京都東急ホテルが建っている五条堀川から300メートルほど北にある堀川通と松原通の交差する辺りで、現在も来迎堂町という町名が残っています。

その後、応仁の乱で焼失するなど、何度も兵火に遭って移転を繰り返し、安土桃山時代に豊臣秀吉によって現在の河原町五条近くに移されました。

江戸時代に入ってからも天明の大火(1788年)や蛤御門(はまぐりごもん)の変(1864年)で火災に遭い、明治になって再建されました。

以上、簡単に両者の歴史を紹介してきましたが、いくつか共通点がありますね。

まず、両者とも本尊は、信州の善光寺の本尊と関係があるということ。

検索エンジンで、「新善光寺」と検索してみると、全国に同名のお寺がたくさんあることがわかりました。

それらに共通しているのは、やはり、信州の善光寺の阿弥陀如来の分身を本尊として祀っていることでした。

また、これらのお寺は全国善光寺会に所属していることもわかりました。もちろん東山区と下京区の新善光寺も全国善光寺会に所属しています。

もうひとつ、両者には共通点がありますね。

それは、応仁の乱で被害を受けていることです。

まあ、この点は、京都の多くのお寺に共通していることなので新善光寺に限ったことではないのですが。

偶然なのかもしれませんが、調べてみると、同じ名のお寺には、共通点があるものなんですね。