仏教には、天台宗という宗派があります。
天台宗は、平安時代初期に最澄が唐から伝えたものです。
京都には、天台宗のお寺がたくさんありますが、その中でも格式の高い3つのお寺を天台宗の三門跡(もんぜき)寺院といいます。
門跡寺院とは、簡単にいうと、皇室関係者が住職をつとめたお寺のことです。
そして、天台宗の三門跡寺院には、三千院、青蓮院(しょうれんいん)、妙法院が数えられています。
三千院
三千院は、京都市左京区の大原に建っています。
最澄が、比叡山に根本中堂を造営する際に東塔南谷の梨の木の下にお堂を建てたのが、三千院の始まりです。
その後、貞観2年(860年)に承雲が東坂本梶井に修造して、円融房と名付けました。
三千院は、梶井門跡とも呼ばれています。
それは、大治5年(1130年)に堀河天皇の皇子の最雲法親王が門主となり、門跡寺院となったことが由来です。
なお、三千院が現在の大原の地に定まったのは明治時代のことで、この時に寺名も現在のものとなりました。
青蓮院
青蓮院は、東山区の知恩院の近くに建っています。
知恩院の敷地も以前は青蓮院の境内だったのですが、知恩院創建時に敷地を割譲しました。
青蓮院は、もともと比叡山三千坊のひとつで、青蓮坊と称していました。
その後、平安時代後期に里坊であった三条白川房に鳥羽天皇の皇子の覚快法親王が入寺し、門跡寺院青蓮院となります。
また、江戸時代の天明の大火の際には、後桜町上皇の仙洞御所となり、粟田御所とも呼ばれました。
青蓮院は、他に東山御所という名でも呼ばれていました。
青蓮院には、鎌倉時代前期に慈円という僧がいました。
慈円は、4度も比叡山延暦寺の住職である天台座主(てんだいざす)となっています。
ちなみに彼の著書「愚管抄」は、歴史書として高い評価を得ています。
妙法院
妙法院は、青蓮院から2km程南下した辺りに建っています。
妙法院は、最澄が比叡山の山内寺院として創建したと伝えられています。
一説では、平安時代末期に後白河法皇が昌雲に法住寺殿内の地を与えて建立したのが始まりともされています。
門跡寺院となったのは、鎌倉時代前期に高倉天皇の皇子の尊性法親王(そんしょうほうしんのう)が入寺してからです。
妙法院は、歴史的に興味深いお寺で、室町時代に婆沙羅大名(ばさらだいみょう)の佐々木道誉(ささきどうよ)に焼き討ちされたり、幕末には七卿落ちの密議が行われたりしています。
以上が、天台宗の三門跡寺院です。
3つのお寺に1日で訪れることは可能ですが、ただ、京都駅から大原の三千院に行くのは、かなり遠く、また、大原には他にも拝観しておきたい観光名所がたくさんあるので、おすすめはしません。
3ヶ所に訪れるなら、日を分けた方が良いですね。