天皇陵を訪れる・吉田山編
京都には、49ヶ所74人の天皇陵があります。 千年以上都がおかれた都市なので、やはり多いですね。 今までこのブログでは、あまり天皇陵を紹介してきませんでした。 どの天皇陵も見た目がほとんど同じというのが、その理由だったのですが、しかし、京都で天皇陵を無視するというのもどうかと思い、今回の記事から少しずつ紹介していくことにしました。 第1回目の今回は、左京区の吉田山付近にある後二条、後一条、陽成の3人の天皇陵を紹介します。
観光名所、史跡、四季折々の風景を写真とともに紹介するブログ。※アフィリエイト広告を利用しています。
京都には、49ヶ所74人の天皇陵があります。 千年以上都がおかれた都市なので、やはり多いですね。 今までこのブログでは、あまり天皇陵を紹介してきませんでした。 どの天皇陵も見た目がほとんど同じというのが、その理由だったのですが、しかし、京都で天皇陵を無視するというのもどうかと思い、今回の記事から少しずつ紹介していくことにしました。 第1回目の今回は、左京区の吉田山付近にある後二条、後一条、陽成の3人の天皇陵を紹介します。
京都市下京区の西本願寺は、街中にあって広大な敷地を有しています。 堀川通を北から南に歩くと、その広さが十分に分かりますね。 堀川通と七条通が交差する辺りまで築地塀があるので、最初はそこまでが西本願寺の敷地だと思っていたのですが、実は南の方は西本願寺ではなく興正寺の敷地であることに気付きました。
幕末、京都の治安を守るために組織された新撰組は、その屯所を八木邸に置きました。 その後、手狭になったため西本願寺に屯所を移転し、さらに慶応3年(1867年)に新撰組は不動堂村に移り、そこに屯所を構えました。 以前にも新撰組の屯所については、このブログで紹介しましたが、不動堂村の屯所跡に新しく石碑が置かれたので、もう一度紹介しておきたいと思います。
京都市左京区の平安神宮近くに本妙寺という小ぢんまりとしたお寺が建っています。 この付近は、本妙寺と同じくらいかそれよりも小さいお寺がたくさん建っているので、車の通りは多いのですが、京都らしさを感じることができます。 本妙寺は、観光寺院という訳ではないのですが、忠臣蔵と関係があるお寺なので、紹介しておきたいと思います。
前回の記事では、1月8日に恵美須神社で行われた初ゑびす招福祭の様子をお伝えしました。 同じ日に東山の八坂神社、霊山護国神社(りょうぜんごこくじんじゃ)、安井金毘羅宮にもお参りをしてきましたので、今回の記事では、この3つの神社の初詣の様子をお伝えしたいと思います。
毎年1月8日から12日までの5日間にわたって、京都市東山区の恵美須神社で、初ゑびすの通称で知られている十日ゑびす大祭が行われます。 もちろん1月10日の十日ゑびす大祭が一番盛り上がりをみせるわけですが、今回、8日に行われた招福祭を観に行ってきましたので、その内容をお伝えしたいと思います。
京田辺市に天津神社という神社があります。 「てんしん」ではなく「あまつ」と読みます。 所在地は、JR大住駅から北に10分ほど歩いたあたりです。 町中にひっそりと建っており、最初見た時は、公園かと思って素通りしそうになりました。
京田辺市のJR松井山手駅から北に20分ほど歩くと天神社という神社が現れます。 天神社は、「てんじんしゃ」、または、「あまつかみやしろ」と読みます。 このあたりを観光で訪れる方は、あまりいらっしゃらいないようで、私が天神社に訪れた時も境内には誰もいませんでした。
京田辺市に月読神社という神社が建っています。 創建年代はよくわかっていないのですが、西暦900年頃には存在していたようです。 なかなか長い歴史を持った神社ですね。 この歴史の長い月読神社には、多くの発祥の碑が置かれています。
京都市北区の大徳寺には、たくさんの小さなお寺が建っています。 別院と塔頭(たっちゅう)を合わせると20以上になり、それらのいくつかは、戦国武将と関係があります。 そこで、今回の記事では、戦国武将と関係がある大徳寺の塔頭を紹介したいと思います。