幕末、京都の治安を守るために組織された新撰組は、その屯所を八木邸に置きました。
その後、手狭になったため西本願寺に屯所を移転し、さらに慶応3年(1867年)に新撰組は不動堂村に移り、そこに屯所を構えました。
以前にも新撰組の屯所については、このブログで紹介しましたが、不動堂村の屯所跡に新しく石碑が置かれたので、もう一度紹介しておきたいと思います。
ハトヤ瑞鳳閣に置かれた新撰組屯所跡の石碑
3番目に構えた新撰組の屯所は、現在の京都駅から少し西に歩いた辺りに存在しました。
以前は、ハトヤ瑞鳳閣の入り口近くに新撰組屯所跡を示す木の札が置かれていたのですが、いつの間にか「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」の石碑に替わっていました。
新しい石碑を建立したのは、歴史地理史学者の中村武生氏です。
中村氏は、最近、京都市内に多くの石碑を建てていますね。
中村氏のブログによると新しい石碑の除幕式は2009年10月18日に行われたそうです。
ちなみにこのブログ(京都観光旅行のあれこれ)で、不動堂村の屯所跡を紹介したのは、2009年10月14日です。
なんとわずか4日後に新しい石碑が置かれたのです。
古い案内板を撮影できたので良かったように思えますが、タイミングが悪かったようにも思えますね。
リーガロイヤルホテル京都に置かれた新撰組屯所跡の石碑
ハトヤ瑞鳳閣から5分ほど西に歩いた場所に建つリーガロイヤルホテル京都の前にも新撰組屯所跡の石碑が置かれています。
石碑には、赤色の「誠」の文字と「事あらばわれも 都の村人となりて やすめん皇御心」という新撰組局長近藤勇(こんどういさみ)の歌が刻まれています。
不動堂村の屯所は、ハトヤ瑞鳳閣とリーガロイヤルホテル京都のどちらにあったのか詳しくはわかっていないようで、大体京都駅の西の辺りといったことしか言えないようですね。
ハトヤ瑞鳳閣の石碑にも「厳密な場所や規模、建物構造などについては信用に足る史料が少なく、不明です。価値の低い記録による復元・叙述は、極力さけなければなりません。」と書かれています。
なお、以下の過去記事では、南不動堂町という町名が残っているハトヤ瑞鳳閣辺りが、新撰組最後の屯所が置かれた場所ではないかと書きました。
古い案内板の写真も掲載していますので、ご覧になってみてください。
まぼろしの屯所
ハトヤ瑞鳳閣とリーガロイヤルホテル京都の中間辺りに霊石不動堂があります。
この霊石不動堂の左右にかかっている提灯には、「新選組まぼろしの屯所」と書かれています。
2つの新撰組屯所跡の石碑を観に行くついでに霊石不動堂にも訪れてみてください。
なお、新撰組最初の屯所の八木邸と第2の屯所の西本願寺については、以下の過去記事で紹介していますので、ご覧になってみてください。