お寺の門を想像する時、どのような門を思い浮かべますか?
小さなお寺を想像した場合、瓦屋根の付いた住宅のような門を思い浮かべるのではないでしょうか。
逆に大きなお寺を想像した場合、知恩院にある三門のような大きな門を思い浮かべるかもしれませんね。
ところで、その思い浮かべた門の色は何色でしょうか。
おそらく、多くの方が黒っぽい色を想像したと思います。
大体、どのお寺の門も黒色が通常なのですが、京都市上京区にある竹林寺と浄福寺の門の色はちょっと変わっていて、赤色をしています。
竹林寺
竹林寺は、JR円町駅から5分ほど北東に歩いたところに建っています。
嘉元年間(1303-1306年)に後宇多天皇の勅願で創建されたのが始まりです。
創建当初の門は、赤くなかったようなのですが、足利尊氏が再建した際に朱塗りの門になりました。
以来、竹林寺は、「赤門の竹林寺」という呼び名で親しまれています。
竹林寺と言えば、幕末に生野の変や池田屋事件で捕えられ六角獄舎で処刑された勤王の志士達のお墓があることでも有名です。
浄福寺
浄福寺は、竹林寺から北東に15分ほど歩いた市バス亭「千本中立売」の近くに建っています。
延暦年間(782-802年)に創建されたと伝えられています。
平安時代には、二十五大寺のひとつに数えられるほどの名刹だったとか。
また、足利尊氏の弟の直義の勅願寺にもなったことがあります。
千本中立売近くの門は赤くありませんが、東側にある四脚の門は赤色です。
浄福寺は、創建当初から現在地にあったのではありません。
当地に移ってきたのは、元和元年(1615年)のことです。
また、赤門も以前は現在のものとは違っていたようです。
現在の浄福寺の堂宇は、享保18年(1733年)に再建されたもので、赤門が現在の姿となったのは江戸時代後期のことだそうです。
ちなみに赤門が造られたのは、江戸時代初期です。
浄福寺の赤門については言い伝えがあります。
江戸時代後期、京都で大火災が発生しました。
世に言う天明の大火(1788年)です。
火の勢いは強く、浄福寺も焼失するかに思えましたが、奇跡的に赤門の近くで火はとまりました。
なんと鞍馬の天狗が大きなうちわをあおいで火を消したのです。
この鞍馬の天狗の言い伝えについては、「ぱてぽんのブログ」さんの下記記事で紹介されていますので、ご覧になってください。
京都には、竹林寺と浄福寺だけでなく、赤色の門が建っているお寺がいくつかありますので、発見した時には写真を撮って、赤門だけの写真集なんかを作ってみてもおもしろいですね。