京都市東山区の六道珍皇寺の近くに六波羅蜜寺が建っています。
六波羅蜜寺は、天暦5年(951年)に空也上人が開創したお寺で、無病息災、勝負運、金運のご利益があると言われています。
無病息災、勝負運、金運をまとめて祈願
六波羅蜜寺が建てられた年、京都では疫病が流行しました。
そこで、村上天皇が空也に悪病退散を命じます。
空也といえば、歴史の教科書によく掲載されている口から六体の小さな仏様を吐き出している像が有名ですね。
勅命を受けた空也は、十一面観世音菩薩立像を車に乗せて、市中をまわり、踊り念仏を行ったと言われています。
その時、空也は、病人に梅干しと昆布を入れたお茶を飲ませました。そのお茶は、皇服茶(おうぶくちゃ)として今も伝えられており、正月三が日に授与されます。
そして、空也が車に乗せた十一面観世音菩薩立像は、六波羅蜜寺の本尊として祀られ、無病息災のご利益を授けてくれます。
また、六波羅蜜寺にある水かけ不動は、源義経が平家追討の際に水をかけて勝ち戦を祈願したとされることから勝負運のご利益を授けてくれると言われています。
もう一つのご利益の金運ですが、六波羅蜜寺の境内には、銭洗弁財天が祀られており、こちらで自分のお金を洗うと金運が成就するそうです。
私も銭洗弁財天にお参りをし、水でお金を清めました。
そして、金運御守を授かり、その中に清めたお金を入れています。
このように六波羅蜜寺にお参りに行くと無病息災、勝負運、金運のご利益をまとめて授かることができるんですね。
平家と縁のある六波羅
六波羅というと平清盛の邸宅があった場所としてよく知られています。
そして、六波羅蜜寺には平清盛の塚が本堂の脇に造られています。
一時代を築いた政治家の塚にしては、規模が小さいですね。
平清盛の塚の隣には、阿古屋の塚もあります。
阿古屋は白拍子で、平家の武者の平景清の愛人でした。
そのため、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、源氏の代官である畠山重忠は、平家の残党の景清の行方を捜すために阿古屋を捕えます。
そして、重忠は、阿古屋に景清の居場所を尋ねますが、阿古屋は知らないの一点張り。
そこで、重忠は阿古屋に琴、三味線、胡弓を順に弾かせます。
しかし、その音調には全く乱れがなく、重忠は、それに感動し阿古屋を無罪放免としたのです。
この阿古屋の物語については、「民俗学的 歌舞伎鑑賞記」というサイトの壇浦兜軍記・阿古屋のページで詳しく紹介されていますので、ご覧になってください。
2010年5月23日追記:上記WEBサイトは閉鎖されています。
なお、六波羅蜜寺の詳細については、下記のページを参考にしてみてください。