地下鉄烏丸御池駅から地下鉄四条駅辺りまでは、多くの企業のオフィスや金融機関が建ち並ぶビジネス街となっています。
なので、この付近は、スーツを着たビジネスマンの方がたくさん行き交っており、観光客の方は少なめです。
さすがにビジネス街で見かける方は、どなたも忙しそうです。
でも、上記2つの駅の間にある烏丸三条(からすまさんじょう)は、ビジネスマンの方のちょっとした憩いの場となっています。
烏丸ビルは高級住宅街の南東
烏丸三条で、ちょっと休息と言えば、烏丸ビルでしょう。
烏丸ビルには、カフェや書店が入っているので、昼休みや仕事の小休止にはちょうど良い場所です。
また、その周辺にも休憩できるお店があるので、この辺りは、リラックスしているビジネスマンやキャリアウーマンの方がたくさんいらっしゃいます。
烏丸三条で休憩している方は、知っているのかどうかわかりませんが、実は、ここは平安時代の高級住宅街の南東部にあたります。
それを示す「三条西殿・三条大路跡」という題名が書かれた説明書が烏丸ビルの入口にあります。
説明書によると、北は姉小路通、南は三条通、東は烏丸通、西は室町通に囲まれた一帯は、平安時代後期の皇族や有力貴族の高級住宅街だったそうです。
白河法皇、鳥羽上皇とその皇后の待賢門院の御所であった三条西殿もここにあり、院政時代の政治の中心地でした。
ちなみにこの時代の院政の中心となった御所は、鳥羽にもありました。
さらに説明書を読んでいくと、烏丸ビルが建つ敷地は、過去に2度発掘調査が実施されましたが、建物跡の検出はできなかったようです。
しかし、三条大路北端と烏丸小路西端の側溝が検出されたことで、平安京全体の町割りを復元する上で重要な定点となったそうです。
また、敷地東南隅では、平安時代から江戸時代にかけての各時代の三条大路の側溝と路面の一部が検出され、当初24メートルあった路幅が徐々に縮められ、現在にいたっていることも判明したとか。
その烏丸ビルの東南隅の地面には、東西と南北の通りを示すタイルがありました。
現在の三条通は、10メートルあるかどうかくらいの幅しかないので、平安時代に24メートルも幅があったとは、ちょっと想像できません。
烏丸ビルのカフェで休憩する時は、ここが平安時代の御所だったことを想像すると、贅沢な気分に浸れそうですね。