
六波羅攻めのために千種忠顕が陣取った石清水八幡宮
元弘2年(1332年)に討幕を企てた後醍醐天皇は隠岐に流されました。 この時、天皇とともに隠岐に流された近臣には、一条行房と千種忠顕(ちぐさただあき)がいます。 隠岐に流された後醍醐天皇は、幕府の監視の中で、囚人として日々を送ることになりました。 しかし、幕府の警備の兵の中には、後醍醐天皇を隠岐から救い出し、京都に戻そうと計画している者たちがいました。
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元弘2年(1332年)に討幕を企てた後醍醐天皇は隠岐に流されました。 この時、天皇とともに隠岐に流された近臣には、一条行房と千種忠顕(ちぐさただあき)がいます。 隠岐に流された後醍醐天皇は、幕府の監視の中で、囚人として日々を送ることになりました。 しかし、幕府の警備の兵の中には、後醍醐天皇を隠岐から救い出し、京都に戻そうと計画している者たちがいました。
木津川にかかる流れ橋が、2013年9月の台風で流されてしまいました。 これで5年連続の流失です。 流れ橋という名は通称で、正式には上津屋橋(こうづやばし)といいます。 川が増水し、橋桁まで水位が達すると、橋床が流れてしまうことから流れ橋と呼ばれています。 でも、橋床はワイヤーでつながっているので、流されても、水位が下がれば、再び回収することができるので、すぐに修復できます。
2013年は、伊勢神宮で20年に一度の式年遷宮が行われました。 これを祝い、依代(よりしろ)アートプロジェクトと題して、京都の10の神社で、若手芸術家の作品が展示されることになりました。 期間は10月1日から12月21日。 アート作品が展示されているのは、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、大原野神社、上賀茂神社、北野天満宮、貴船神社、下鴨神社、城南宮、豊国神社、松尾大社(まつのおたいしゃ)、吉田神社です。 気候的にも京都散策をしやすい時期なので、上の10社に参拝して展示されているアート作品を鑑賞するのも良いですね。
2013年9月15日の夜から16日の朝にかけて京都を襲った台風による豪雨は、各地に大きな爪痕を残していきました。 嵐山を流れる桂川や京都市中心部を流れる鴨川が普段では考えられないほど水位が上昇。 特に嵐山は渡月橋付近が大洪水になり、周辺の旅館やお店、住宅が多数浸水しました。 他にも京都府北部の福知山でも由良川が氾濫し、大きな被害が出ました。 テレビのニュースでは、あまり採り上げられてはいませんでしたが、八幡市も浸水の被害が出ており、桂川、宇治川、木津川もあり得ないほど水位が上昇していました。
京都府八幡市に建つ石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の歴史は古く、平安時代前期の貞観元年(859年)に創建されました。 石清水八幡宮の創建理由は、南都大安寺の行教が、九州の宇佐八幡にひと夏参籠して、八幡神より都の近くに移坐して国家鎮護にあたらせるようにという神託を受けたこととされています。 祭神として祀られているのは、応神天皇、神功皇后(じんぐうこうごう)、比売大神(ひめおおかみ)です。 八幡宮というと、八幡神が祀られているわけですが、実は、八幡神というのは応神天皇のことなのです。
京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)では、8月31日まで夜間特別拝観が行われています。 この時期に石清水八幡宮で夜間拝観が行われるのは珍しいですね。 ということで、石清水八幡宮の夜間拝観に行ってきましたので、今回はその模様をお伝えします。
京都府八幡市に足立寺(そくりゅうじ)史跡公園という公園があります。 ここは、以前に梅を見に来たところなのですが、公園内に遺跡もあるので、今回の記事ではそれらを紹介します。
京都府八幡市の新緑の名所である善法律寺を訪れました。 訪れたのは5月上旬。 それほど大きなお寺ではありませんが、たくさんのカエデが植えられているので、この時期は、境内が緑色の空間になります。
京都府八幡市に足立寺史跡公園(そくりゅうじしせきこうえん)という公園があります。 地元の人にしか知られていませんが、この公園は梅の名所であります。 もしかしたら、地元の人でも、知らない人の方が多いかもしれません。 私が足立寺史跡公園に訪れたのは、3月中旬でした。
毎年1月15日から19日に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、厄除大祭が行われます。 また、19日には、古いお札やお守りが炊き上げられる焼納神事が催されます。 参拝者には、厄除開運餅が先着1,500名に振る舞われるということなので、19日の午前10時過ぎに石清水八幡宮を訪れました。