八幡市一覧

尺八都山流の流祖・中尾都山の頌徳碑がある石清水八幡宮

京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、男山の山上に鎮座しています。 その山上には駐車場があり、近くには大きなクスノキが植えられています。 大楠を植えたのは楠木正成と伝えられており、クスノキの下には、人の背ほどの石碑が立っています。 きっと楠木正成の名言が刻まれているのだろうと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。 石碑に刻まれているのは、尺八の都山流(とざんりゅう)と関係のある言葉でした。

石清水八幡宮の夏・2014年

8月上旬。 京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝しました。 石清水八幡宮は、男山の山上に鎮座しているので、お参りするには山を登らなければならず、暑い夏は一苦労です。 でも、こういう苦労をして参拝するからこそ、ご神徳を授かることができるというもの。

ハスとアサザとスイレンが共演する放生池・石清水八幡宮

京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)には、放生池という池ががあります。 放生池では、毎年夏になるとスイレンとハスがきれいに咲くんですよね。 暑い時期は、あまり京都散策をしたくないのですが、ハスとスイレンは見に行きたいという欲求もあり、午前中のそれほど暑くない時間帯に石清水八幡宮にお参りをしてきました。

南朝が逆襲に転じた正平の役

正平7年(1352年)に南朝が京都を奪還しようとした正平の役が起こりました。 正平の役は、八幡合戦とも呼ばれており、京都府八幡市で南朝の軍と足利義詮の軍が戦いました。 この頃、室町幕府は、足利尊氏と弟の直義が争っており、南朝はその混乱に乗じて、京都還幸を試みたのです。

本殿を囲む信長塀・石清水八幡宮

京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、古来より朝廷や武家の崇敬を受けてきた神社です。 そのため、石清水八幡宮には、歴史的に有名な人物から寄進された文化財が数多くあります。 例えば、本殿をぐるっと囲む塀も安土桃山時代に織田信長が寄進したものなんですよね。

茶室近くでしっとりと咲くアジサイ・石清水八幡宮

6月末に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に茅の輪くぐりに行った際、境内のアジサイも見てきました。 アジサイの数はそれほど多くないので、アジサイの名所というほどではないのですが、梅雨らしく、しっとり咲くアジサイを見ることができました。 今回の記事では、そのアジサイの写真を中心にお伝えします。

石清水八幡宮の茅の輪くぐり・2014年

毎年、6月30日になると、京都の神社では、夏越(なごし)の祓(はらえ)が行われます。 夏越の祓は、年明けからの半年間に体にたまった「枯れてきた気」、すなわち、「けがれ」や気づかずに行った「慎むべきこと」、すなわち、「罪」を祓い清める神事です。 6月に行われることから水無月の祓とも呼ばれます。 ということで、6月30日に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)にこの半年間のけがれと罪を祓い清めに行ってきました。

善法律寺にある覚運の墓塔

京都府八幡市に建つ善法律寺には、忠臣蔵と関係のある人物の墓塔があります。 その人物とは、覚運です。 あまりなじみのない名前ですが、覚運は、大石内蔵助の養子になった人物で、後に男山四十八坊のひとつ大西坊を再興したお坊さんです。