
京都の紅葉狩りコース-大覚寺、大沢池、清凉寺、宝筐院編
京都市右京区の嵯峨野には、たくさんの紅葉の名所があります。 数があまりに多すぎるので、どこに行けば良いのか逆に困ってしまうくらいです。 基本的に京都観光では、有名な観光名所を1ヶ所拝観した後、その近くにある観光名所数ヶ所に訪れるのがおすすめです。 特に嵯峨野は観光客も多く混雑しますから、できるだけ移動時間を減らしたいですね。 秋の紅葉の時期に嵯峨野の大覚寺に参拝した場合には、清凉寺と宝筐院(ほうきょういん)にも参拝するのがおすすめです。
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京都市右京区の嵯峨野には、たくさんの紅葉の名所があります。 数があまりに多すぎるので、どこに行けば良いのか逆に困ってしまうくらいです。 基本的に京都観光では、有名な観光名所を1ヶ所拝観した後、その近くにある観光名所数ヶ所に訪れるのがおすすめです。 特に嵯峨野は観光客も多く混雑しますから、できるだけ移動時間を減らしたいですね。 秋の紅葉の時期に嵯峨野の大覚寺に参拝した場合には、清凉寺と宝筐院(ほうきょういん)にも参拝するのがおすすめです。
京都市右京区の妙心寺境内に壽聖院(じゅしょういん)というお寺が建っています。 壽聖院は、慶長4年(1599年)に石田三成が父の正継の菩提を弔うために伯蒲禅師を院主に迎えて建立しました。 石田三成は、安土桃山時代に豊臣秀吉の五奉行として政治の舞台で活躍した人物として知られています。
江戸幕府を開いたのは徳川家康ですが、幕府の基盤が安定したのは3代将軍の家光の頃とされています。 家光は2代将軍秀忠の次男だったのですが、長男が早世したため幼い頃から世継ぎに決められていました。 その徳川家光を育てたのは、乳母の春日局(かすがのつぼね)でした。
豊臣秀吉に仕えた家臣に堀尾吉晴という武将がいます。 仏の茂介と呼ばれることがあった堀尾吉晴は、秀吉に仕えた武将の中でも温和な性格だったようです。 加藤清正、福島正則、石田三成は豊臣秀吉に仕えた武将としてよく知られていますが、堀尾吉晴は彼らほど有名ではありません。 でも、豊臣秀吉の出世に堀尾吉晴も大きく貢献しています。
7月下旬に京都市右京区の花園に建つ妙心寺を訪れました。 この日は、妙心寺の境内にある退蔵院でハスを見るのが目的だったのですが、その後に妙心寺の境内を散策しました。 夏の退蔵院で観賞するハス・2016年 妙心寺の境内はとても広いので、じっくりと見ていくと1時間くらいはかかりますが、手早く見ていけば30分ほどで境内全体を歩けます。
7月下旬に京都市右京区の法金剛院に参拝してきました。 法金剛院では、毎年7月になると観蓮会が行われ、境内全域がハスで埋め尽くされます。 今回の参拝は、そのハスを観賞するのが目的であります。
7月下旬。 京都市右京区の花園に建つ退蔵院に参拝してきました。 この時期の退蔵院では、ハスの花を見ることができます。 ハスの花は暑い夏に咲きますが、透明感があるので見ているだけで涼しく感じますね。
四条大宮から嵐山へと向かう京福電車に有栖川駅という駅があります。 嵐山に近い駅なのですが、旅行者や観光客の方が、ここで降車することはあまりないですね。 その有栖川駅から南西に5分ほど歩いた辺りに斎宮神社(さいぐうじんじゃ)という神社が建っています。 社名のとおり、伊勢神宮に奉仕する斎宮と関係のある神社です。
京都市右京区に木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という神社が建っています。 あまりに長い名なので、木島神社(このしまじんじゃ)と呼ばれることがありますが、それでも、聞いたことがない人が多いと思います。 木島神社には、他にも蚕(かいこ)の社(やしろ)の呼び名もあり、おそらく、こちらの方が知っている人が多いでしょうね。
3月下旬。 京都市右京区の広隆寺(こうりゅうじ)に参拝してきました。 広隆寺は、京都で最も古いお寺です。 その広隆寺では、毎年春になると桜が咲くのですが、ソメイヨシノよりも先に山桜(ヤマザクラ)が見ごろを迎えます。