宇治市一覧

池田恒興の菩提を弔うために再興された興聖寺

天正10年(1582年)に起こった本能寺の変で織田信長がこの世を去りました。 信長を討ち取ったのは家臣の明智光秀でしたが、その光秀もすぐに羽柴秀吉との戦いに敗れ戦死しています。 信長の死により織田政権を誰が引き継ぐのか、家臣団の中で争いが起こります。 有力だったのは羽柴秀吉と柴田勝家でしたが、秀吉が勝家を打ち取ったことで自然と秀吉が後継者となりつつありました。 しかし、これに不服だったのが、信長の子の信雄(のぶかつ)。 彼は徳川家康を味方に着けて、秀吉と決戦することにしました。 これが、天正12年に起こった小牧長久手の戦いです。

興聖寺の琴坂の紅葉・2016年

11月末に京都府宇治市の平等院に紅葉を見に行った後、興聖寺に参拝しました。 興聖寺も、琴坂と呼ばれる参道の紅葉が有名で、宇治市に紅葉狩りに訪れた時には立ち寄りたいお寺です。 紅葉時期は、11月末から12月上旬なので、おそらく紅葉が見ごろを迎えているはず。

山城国一揆で国人たちが寄合を開いた平等院

室町時代に起こった応仁の乱は、11年間続き、京都の町を焼け野原にしました。 応仁の乱が終結した後も、全国各地で争いは続き、やがて戦国時代に突入していきます。 応仁の乱で、畠山家の家督争いに敗れた畠山義就(はたけやまよしなり)は、文明9年(1477年)に斎藤妙椿(さいとうみょうちん)とともに河内国を武力で制圧。 畠山家の家督を相続し山城守護についた畠山政長がこれに怒り、応仁の乱が終結した後も両者は争い続けることになりました。

宇治橋を守り続ける橋姫神社

京都府宇治市の宇治橋の西に橋姫神社という神社が建っています。 境内はそれほど広くなく、鳥居がなければ民家と思って素通りしてしまいそうな神社です。 でも、橋姫神社は、宇治川が流れる宇治市にとって、昔から橋の守り神と崇められてきた大切な神社なのです。