
いつも門が閉ざされている旧神先家住宅
京都市中京区の壬生寺(みぶでら)に訪れると、いつも気になる建物があります。 その建物は、壬生寺の東向かいに建っている旧神先家住宅(きゅうかんざきけじゅうたく)です。 何が気になるかというと、いつも門が閉ざされていて中がどうなっているのかわからないところです。 門の前に説明書があるので、貴重な建物だということはわかりますが、詳しい内容はこれだけではわかりませんね。
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京都市中京区の壬生寺(みぶでら)に訪れると、いつも気になる建物があります。 その建物は、壬生寺の東向かいに建っている旧神先家住宅(きゅうかんざきけじゅうたく)です。 何が気になるかというと、いつも門が閉ざされていて中がどうなっているのかわからないところです。 門の前に説明書があるので、貴重な建物だということはわかりますが、詳しい内容はこれだけではわかりませんね。
京都市内には、繁華街がいくつかありますが、その中で、有名なところと言えば、寺町や新京極のアーケード街ではないでしょうか。 この辺りは、修学旅行生でいつも賑わっていますね。 アーケード街となっているのは、三条寺町付近で、そこから北に少し歩くと二条寺町があります。 二条寺町には屋根はありませんが、昔ながらのお店がいくつも並んでいます。 お店を眺めながら、寺町通を歩いていると、その一角に井原西鶴の句が刻まれた石碑が置かれているのを発見しました。
安政5年(1858年)に起こった弾圧事件、世に言う安政の大獄では、将来を嘱望された人材が幕府に捕えられ、次々と処刑されました。 安政の大獄というと、彦根藩出身の幕府の大老井伊直弼(いいなおすけ)が行った弾圧として知られていますが、その時の老中であった間部詮勝(まなべあきかつ)も重要な役割を果たしていました。
京都市中京区の押小路通と釜座通が交差するあたりに東三条院址(とうさんじょういんし)の石碑を発見しました。 腰よりも低い石碑なので、普通なら見向きもせずに通り過ぎてしまうのですが、近くに京都市の説明書が立っていたので、近寄ってじっくりと観察することにしました。 ここはどうやら平安時代に貴族の屋敷があった場所のようです。
京都市中京区の壬生寺(みぶでら)にお参りをした後、近くに建つ梛神社(なぎじんじゃ)にも立ち寄りました。 梛神社は、壬生寺から阪急大宮駅に向かう途中にあるので、ついでにお参りをするには、ちょうど良い立地です。 四条通に面しているため、人の出入りが多そうな神社なのですが、意外と参拝者はまばらで、のんびりとお参りすることができます。
久しぶりに京都市中京区の壬生寺(みぶでら)にお参りしてきました。 特にこれといった理由があったわけではありませんが、境内に弁財天が祀られていることに気付いたので、2013年が巳年ということもあり、短い時間ではありましたが、参拝しておきました。
京都市中京区の二条城の近くに御金神社(みかねじんじゃ)という神社が建っています。 その社名からもわかる通り、近年では、金運の神さまとして親しまれるようになっています。 普段は、それほど参拝者が多いわけではありませんが、1月は、さすがにお参りに訪れる方が多いですね。 1年間の金運を良くするためにも年始には、御金神社に参拝しておきたいところです。
いつの時代でもかっこいい男性は、女性の憧れですよね。 さらに歌がうまいと、好感度がアップします。 しかも、家柄が良かったりすると、なんかもう別次元に住む遠い存在のように感じ、近くに寄るのもためらわれてしまいますね。 現代にもこういった有名人の方がいらっしゃいますが、歴史上にも、容姿端麗、歌がうまい、家柄が良いといった男性が何人もいました。 平安時代前期でいうと、在原業平(ありわらのなりひら)がそうですね。
京都市中京区のビジネス街にビルに囲まれるように六角堂が建っています。 六角堂は、その名のとおり本堂が六角形をしています。ビルに上って見下ろすと、その形がわかります。 六角堂にお参りに訪れたことがある方ならお気づきと思いますが、境内には、とても多くのお地蔵さんが祀られています。 それぞれのお地蔵さんは、授けてくれるご利益が異なっています。 今回の記事では、六角堂に祀られているお地蔵さんたちを紹介します。
慶応4年(1868年)4月25日。 この日、東京の板橋で新撰組局長の近藤勇(こんどういさみ)が斬首されました。 その後、彼の首は京都に送られ、三条河原にさらされました。