建武の新政の中心地は高級住宅街だった
元弘3年(1333年)5月に六波羅探題が滅びた後、5月23日には新田義貞により鎌倉幕府も攻め滅ぼされました。 新田義貞の挙兵は5月8日と伝えられているので、わずか2週間ほどの間に鎌倉幕府を倒したことになります。 もちろん、これは新田義貞の功績ではありますが、事前に足利高氏がその子の千寿王をわずか4歳で新田勢に加勢させ、それにより諸国から数多くの武士が討幕のために加わってきたことも瞬く間に幕府を倒せた理由でもあります。 ここに約150年続いた鎌倉幕府は終焉を迎えました。