土佐坊昌俊の源義経襲撃・左女牛井之跡
京都市下京区の六条堀川は、源頼義、義家、為義、為朝、義経など、源氏の邸宅の六条堀川邸があった場所として知られています。 元暦2年(1185年)10月。 この六条堀川邸で、源義経が襲撃されるという事件が起こりました。
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京都市下京区の六条堀川は、源頼義、義家、為義、為朝、義経など、源氏の邸宅の六条堀川邸があった場所として知られています。 元暦2年(1185年)10月。 この六条堀川邸で、源義経が襲撃されるという事件が起こりました。
鎌倉時代が終わり(1333年)、その後に訪れたのが、朝廷が北朝と南朝に分裂して争う南北朝時代でした。 50年もの長きにわたって南北朝の争乱が繰り広げられたのは、後醍醐天皇に対立した足利尊氏が、光厳天皇(こうごんてんのう)を北朝の初代天皇として擁立したことが原因とされています。 しかし、実は、足利尊氏が北朝をつくる以前から、南北朝の争乱の火種は皇室にくすぶっていたのです。
京都市左京区の哲学の道の東側の通りに安楽寺というお寺が建っています。 この安楽寺は、鎌倉時代の宗教弾圧と関係があることで知られています。
京都市上京区に千本釈迦堂の通称で親しまれる大報恩寺があります。 その大報恩寺には、落ち着きのある桧皮葺の本堂が建っているのですが、この本堂の建設については、大工の妻の内助の功が今も語り継がれています。
普段の生活の中で、よく親しまれている飲み物としてすぐに思いつくのがお茶ではないでしょうか。 おそらく、今までに一度もお茶を飲んだことがないという方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。 それどころか、一日一度は必ずお茶を飲むという方も多いことでしょう。 そんな親しみ深いお茶ですが、日本最古の茶園が、京都市右京区の北の方の栂尾(とがのお)に建つ高山寺の境内にあります。
「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」で始まる方丈記の作者と言えば、鴨長明ですよね。 その鴨長明が使っていた移動式住宅の方丈が下鴨神社の摂社である河合神社に置かれています。
これまで3回にわたって鳥羽にある名所旧跡を紹介してきましたが、今回は鳥羽の歴史について書いてみようと思います。 鳥羽が歴史に登場するのは、鳥羽離宮の造営の他に武家政治に影響を与えた2つの有名な事件があります。