会いたい人に似た千手観音像・三十三間堂
前回の記事では、三十三間堂の大的大会の模様を紹介しました。 大的大会の時には、三十三間堂内の拝観が無料なので、ついでに堂内も観てきました。 そこで今回の記事では、三十三間堂内の拝観内容について紹介したいと思います。 なお、堂内は写真撮影が禁止だったので、当記事内では内部の写真は掲載していません。
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前回の記事では、三十三間堂の大的大会の模様を紹介しました。 大的大会の時には、三十三間堂内の拝観が無料なので、ついでに堂内も観てきました。 そこで今回の記事では、三十三間堂内の拝観内容について紹介したいと思います。 なお、堂内は写真撮影が禁止だったので、当記事内では内部の写真は掲載していません。
毎年1月15日頃になると東山区の三十三間堂で大的大会が催されます。 今年は1月17日に無事に行われました。 大的大会は、毎年多くの新成人が参加し、60メートル先の的に向かって矢を射ます。 大的大会は通し矢とも呼ばれ、三十三間堂の冬の風物詩として、よくニュースで報じられるので、多くの方が御存じなのではないでしょうか。 今回は、その大的大会の模様を紹介したいと思います。
鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて活躍した武将の中に佐々木道誉(ささきどうよ)という人物がいます。 佐々木道誉は、身なりを派手に飾り、遠慮なく振る舞う性格で、当時の人々は彼を婆沙羅大名(ばさらだいみょう)と呼びました。
毎年、大晦日になると東山区の八坂神社近くでは、火縄をくるくる回した人達を見かけます。 これが、おけら詣りと言われるものですね。
前回の記事では、京都の熊野三山を紹介しました。 その熊野三山のひとつである新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、能楽の大成者である世阿弥と縁があることで知られています。 そこで、今回は世阿弥と新熊野神社を簡単に紹介したいと思います。
京都には、熊野という名が付く神社が3つあります。 その3つとは、熊野神社、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)です。 いずれの神社も紀州(和歌山県)から、神様を勧請して創建された神社です。
京都の中でも舞妓さんが有名なところと言えば祇園です。 その祇園にある有名な神社が八坂神社です。 八坂神社にはたくさんの摂社・末社がありますが、その中でも祇園という地域にぴったりの末社が境内の東側に建っています。 その末社の名は美御前社(うつくしごぜんしゃ)です。
京都市東山区には様々な観光名所があり、そのため多くの観光客の方で賑わっています。 その中でも、京阪電車の七条駅と清水五条駅の周辺は、豊国神社や方広寺など豊臣秀吉ゆかりの建築物が多く残っています。 秀吉は、東山の阿弥陀ヶ峰に自分の遺体を埋葬するように遺言を残したことから、この地には秀吉の廟所があります。 それが豊国廟(ほうこくびょう)です。
幕末の京都の治安を守った新撰組を代表する事件と言えば、元治元年(1864年)に起こった池田屋事件ですね。 この時、長州藩の浪士たちを斬って、京都放火計画を未然に防いだわけですが、その後に長州藩が報復とばかりに藩兵を率いて上洛し、京都で市街戦が繰り広げられました。これが蛤御門の変です。 この2つの事件の後、新撰組は新たに隊士を増やすために江戸から有望な人材をスカウトしてきました。 その中の一人が伊東甲子太郎(いとうかしたろう)です。
前回の記事では、東福寺の紅葉について紹介しましたが、今回は東福寺の中にある八相の庭と呼ばれる方丈庭園を紹介したいと思います。 東福寺は、通天橋から見た紅葉が有名ですが、八相の庭もなかなか興味深いものでした。