
京の七夕鴨川会場を視察
8月はあまり観るものがないので、観光や旅行で京都に訪れる方は少なめです。 しかし、今年から新しい行事が催されることとなり、今後は8月も観光や旅行で京都に訪れる方が増えそうです。 その新しい行事とは、「京の七夕」です。
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8月はあまり観るものがないので、観光や旅行で京都に訪れる方は少なめです。 しかし、今年から新しい行事が催されることとなり、今後は8月も観光や旅行で京都に訪れる方が増えそうです。 その新しい行事とは、「京の七夕」です。
京都の観光名所で1番人気の清水寺に訪れる時、気持ちが高ぶって、ついつい早歩きで入口まで行ってしまいそうになります。 観光客の方の中にも、ただまっすぐに清水寺に向かっているように見える方もいらっしゃいますね。 清水寺に行く道には、たくさんのお店があるので、お土産なんかをじっくりと見ていくだけでも京都の風情を楽しむことができます。 また、この辺りには興味深い寺社がいくつかあるのですが、清水寺のことを考えていると、うっかり素通りしてしまいそうになります。 そこで、今回の記事では、国道1号線から清水寺に向かう途中にある素通りしてしまいそうな寺社を3つ紹介したいと思います。 ...
寿永4年(1185年/元暦2年)2月。 現在の香川県で、源氏と平家が合戦をしました。 世に言う屋島の戦いです。 屋島の戦いで有名なのが、源氏の武者で弓の名手である那須与一(なすのよいち)の活躍です。
京都の観光名所で一番人気があるのは、東山区に建つ清水寺です。 このブログも200記事以上書いているのですが、まだ清水寺については、ほとんど書いていないということに気付きました。 今まで清水寺に拝観したことがないと言う訳ではないのですが、なぜか、このブログで紹介する機会がありませんでした。 せっかくなので、今回は清水寺について書いてみたいと思います。
寿永2年(1183年)7月に平家が都を落ち、代わりに入京したのが木曽義仲とその叔父の源行家でした。 この時、一番喜んだのはおそらく後白河法皇だったのではないでしょうか。 なぜなら、平家は都を落ちて西国に向かうことを決定した際、後白河法皇を都から連れ出そうとしていたからです。 その計画を知った法皇は、平家の探索から逃れるためにどこかへと姿をくらまし、息を殺して危険が過ぎ去るのを待っていました。 平家が都を去り難を逃れた法皇でしたが、実はこの後、更なる問題に直面することとなります。
建久4年(1193年)、金戒光明寺でひとりの武将が出家しました。 法名は、法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)。 出家前の名は、熊谷直実。
6月15日に智積院の庭園を拝観した後、円山公園にサツキを観に行きました。 円山公園というと春の桜が有名ですが、5月下旬から咲き出すサツキもきれいなので、この時期に訪れる価値は十分にあります。 また、時期的に観光客の方が少ないのもいいですね。
毎年6月15日は、東山区の智積院(ちしゃくいん)で、弘法大師と興教大師の誕生会法要である青葉まつりが行われます。 この日は、収蔵庫と名勝庭園が無料で拝観できるということなので、智積院に行ってきました。
平安時代末期、武士が政治の世界で活躍するきっかけを作ったのは、平清盛でした。 清盛を生んだ母の名は、祇園女御(ぎおんのにょうご)。 また、清盛には、父の忠盛の再婚相手である池禅尼(いけのぜんに)という母親もいました。 この二人の母親が、後に平家の運命を大きく変えることになります。
京都市東山区の京阪電車七条駅近くには、観光名所として有名な三十三間堂があります。 また、その正面には数々の美術品を展示している国立博物館もあります。 この周辺に訪れる多くの観光客の方のお目当ては、上のどちらかのようで、拝観が終わるとすぐに市バスに乗って帰ってしまいます。 しかし、三十三間堂周辺には、多くの寺社が密集しているので、三十三間堂や国立博物館だけに立ち寄って帰るのは、非常にもったいないです。 そこで、今回は、三十三間堂周辺の気軽に訪れることができる寺社を紹介したいと思います。