源頼政が鵺退治に使った2本の矢じり
平安時代後期、近衛天皇の時代に、毎夜、都を騒がす生き物がいました。 その姿は、頭は猿、尾は蛇、手足は虎。当時の人々は、その生き物を鵺(ぬえ)と呼びました。
平安時代後期、近衛天皇の時代に、毎夜、都を騒がす生き物がいました。 その姿は、頭は猿、尾は蛇、手足は虎。当時の人々は、その生き物を鵺(ぬえ)と呼びました。
平安時代の人々は、地震や台風などの自然災害、疫病の流行がなぜ起こるのかわかりませんでした。 科学の発達した現代では、これらの原因はテレビのニュースや新聞を読めば簡単にわかります。 では、科学の発達していない当時の人々は、天変地異や疫病の流行にどう対処したのでしょうか?
以前に粟田神社に訪れた時に境内に大きな人形を発見しました。あまりに大きかったので、思わず写真を撮ってきました。
京都市左京区に金戒光明寺というお寺があります。 場所は、平安神宮から北東に5分程度歩いたところで、近くには真如堂や吉田神社もあります。 金戒光明寺は、浄土宗のお寺なのですが、会津藩と所縁のあるお寺でもあります。
あなたは、あの世があると信じますか? 信じるか信じないかはあなた次第です。 ところで、京都には、この世とあの世の境目があるのをご存知ですか?
石峰寺の羅漢参道にびっくりの中でたくさんの石仏について紹介しました。 この石仏の下絵をしたのが伊藤若冲たっだのですが、若冲はいったいどういう人物で京都とどのような関係があったのでしょうか? 少しばかり調べてみたので、紹介したいと思います。
本日10月1日は、10(テン)と1(イチ)で天一の日。つまり、ラーメン店の天下一品の日です。 ということで、本日は天下一品のラーメンを食べに行きました。
京都市伏見区の京阪電車深草駅から東に10分程度歩いたあたりに石峰寺というお寺があります。 住宅地の中にさりげなく建っているお寺で、入口の竜宮門を除き、それほど目立った感じではありません。 なので、本堂を観て立ち去ろうと思ったのですが、境内の脇になにやら怪しげな参道を発見。 そこで、この参道を探検することにしました。
京都の玄関口である京都駅につくと見える五重塔は東寺のものです。これを見ると京都に来た実感がわくという方も多いのではないでしょうか? ところで、京都に東寺があるのに西寺がないのはどうして? と、思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
京都御所の蛤御門近くに護王神社という神社があります。この神社に入ると一般的な神社と比較して少し変わった雰囲気が漂っています。 どこが変わっているのか? そう、それは護王神社が猪ばかりということです。