綱紀以降名君が出なかった前田家・加賀藩邸跡
江戸時代、京都にはたくさんの大名の藩邸が置かれました。 薩摩藩、長州藩、土佐藩といった幕末に活躍した藩の藩邸はもちろんのこと、それ以外の藩邸も存在していました。 その中には、100万石を有する大藩の加賀藩の藩邸もありました。
江戸時代、京都にはたくさんの大名の藩邸が置かれました。 薩摩藩、長州藩、土佐藩といった幕末に活躍した藩の藩邸はもちろんのこと、それ以外の藩邸も存在していました。 その中には、100万石を有する大藩の加賀藩の藩邸もありました。
京都市右京区には、2つの大きな池があります。 ひとつは大覚寺にある大沢池(おおさわのいけ)で、もうひとつは、そこから1kmほど東にある広沢池(ひろさわのいけ)です。 どちらも自然にできた池だと、当初は思っていましたが、実は人工的に造った池だということを知りました。
天正10年(1582年)。 本能寺で、主君織田信長を討った明智光秀は、その後、中国地方から素早く戻ってきた羽柴秀吉と天王山で戦います。 この戦いは、山崎の戦いと呼ばれ、光秀が秀吉に敗れたことで決着しました。
京都市下京区の塩竃町に蓮光寺というお寺が建っています。 最寄駅は、京阪電車の清水五条駅と地下鉄五条駅です。 この蓮光寺には、不思議な伝説を持つ2つの仏像が安置されていることで知られています。
阪急上桂駅を西にまっすぐ進むと分かれ道が現れます。 そこには、右に行くと地蔵院、左に行くと浄住寺と記されています。 地蔵院は竹の寺として有名ですが、私にとって、浄住寺は全くその存在を知らないお寺です。 当然、浄住寺に興味がわいてくるもので、地蔵院の拝観後に訪れてみました。
毎年8月22日と23日は、京都は六地蔵巡りで賑わいます。 六地蔵巡りは、6ヵ所のお寺で、赤、青、黄、緑、黒、白の6色のお札を授かって玄関につるし、1年の疫病退散、家内安全、無病息災、福徳招来を祈願するものです。 そこで、今回の記事では、六地蔵巡りの6ヵ所のお寺を紹介します。
先日、京都新聞ニュースを読んでいると、八幡市の八角堂に地元の女性が植えたシマユリが花を咲かせたという記事が掲載されていました。 八角堂は、何度も訪れたことがありますが、境内は殺風景です。 そんな境内をシマユリがどのように彩っているのか見たくなり、八角堂に参拝してきました。
京都市西京区の阪急上桂駅から西に15分ほど歩くと、通称、竹の寺と呼ばれる地蔵院に到着します。 もちろん、きれいな竹が生えているのが、地蔵院の特徴です。 竹がより美しく見える時期はいつなのかと考えたところ、5月から8月ではないかと自分の中で結論が出たことから、6月上旬の梅雨時に参拝することに。
最近、物覚えが悪いと感じたりすることはないでしょうか。 昨日の晩御飯が思い出せないという方も多いことでしょう。 人は誰でも、年齢を重ねることで記憶力が衰えてくるものですが、そうは言っても、いつまでも物覚えが良くあってほしいと思いますよね。 そこで今回は、いつまでも記憶力が衰えないようにぼけ封じのご利益を授けてくれる今熊野観音寺と千本釈迦堂の観音様を紹介します。
京都市東山区の円山公園近くに建つ長楽寺には、幕末、天皇を敬い外国人を日本から追い出そうという尊王攘夷(そんのうじょうい)運動が盛んだった水戸藩の関係者のお墓が多数あります。 この時期の水戸藩の活動は、明治維新に大きく貢献することになります。 ただ、当時活躍した水戸烈士たちは、幕末に命を落とした者が多く、あまり有名ではありません。 今回の記事では、長楽寺にひっそりと眠る水戸烈士たちのお墓を紹介します。