2011年10月にオープンした京都市中心部のホテル
2011年10月。 京都市中心部に2つのホテルがオープンしました。 ひとつは京都駅の「ホテル近鉄京都駅」で、もうひとつは三条河原町の「ロイヤルパークホテル ザ 京都」です。 どちらも比較的大きなホテルなので、春や秋の観光シーズンの京都での宿泊が便利になりそうです。
2011年10月。 京都市中心部に2つのホテルがオープンしました。 ひとつは京都駅の「ホテル近鉄京都駅」で、もうひとつは三条河原町の「ロイヤルパークホテル ザ 京都」です。 どちらも比較的大きなホテルなので、春や秋の観光シーズンの京都での宿泊が便利になりそうです。
お寺の本堂や神社の本殿は、多くの場合、南向きに建てられています。 これは、風水の原理で北が命の根源の水の方位だからとか、儒教の「天使は南面す」という考え方があることなどが理由になっているようです。 ただ、本堂や本殿は必ずしも南向きに建てられるわけではなく、東向きや西向きに建てられることもあります。 しかし、北向きに建てられるということは珍しいようです。 そんな珍しい北向きの本堂と本殿が京都市伏見区に存在します。
京都市山科区に大乗寺というお寺が建っています。 ご存じない方が多いと思いますが、実は、このお寺はスイフヨウの名所として有名で、9月中旬から10月下旬にかけて花を咲かせます。 ということで、10月上旬に見ごろとなっているスイフヨウを観に大乗寺に訪れてきました。
京都市東山区の六道珍皇寺には、あの世への入口があります。 昔は六道珍皇寺付近は六道の辻と呼ばれており、平安時代に小野篁(おののたかむら)が、六道珍皇寺の井戸から閻魔大王のもとに通っていたと伝えられています。 また、冥途からの出口は、嵯峨野の大覚寺付近にあったとも伝えられています。 このことについては以下の過去記事で紹介したことがあります。 冥土の入り口と出口、2つの六道の辻 以前は、嵯峨野には「六道の辻」と刻まれた石柱が立っていただけだったのですが、現在では敷地が整備され、お地蔵さんが祀られています。
京都市西京区の阪急電車松尾駅近くを散策していると、谷ヶ堂最福寺旧跡地という場所を見つけました。 最福寺は、平安時代末期に延朗上人が建立したお寺で、何度も戦火に遭い、現在まで再建されることがありませんでした。 それでも旧跡地には、お堂など、いくつか建造物が残っているので、少しばかり敷地内を見ていくことにしました。
京都市西京区に一年中鈴虫の音が絶えないお寺が建っています。 そのお寺は、鈴虫寺の愛称で親しまれている華厳寺(けごんじ)です。 華厳寺は、阪急上桂駅から北西に約15分ほど歩くと到着します。
10月上旬。 暑い夏も過ぎ、京都観光に適した涼しい季節となりましたね。 どんなに歩いても暑くならないこの時期に嵐山を散策してきました。
平安時代に坂上田村麻呂という人物がいました。 日本史の教科書に必ず登場するので、名前くらいは知っていることでしょう。 田村麻呂は、日本で初めて征夷大将軍になった武将で、彼の墓は京都市山科区にあります。
地下鉄東山駅を東に少し歩くと、路地のようなところに金剛寺というお寺が建っています。 おそらく、観光で京都に訪れ、この辺りを歩いたことがある方でも、金剛寺に気付く方は少ないのではないでしょうか。 金剛寺は、境内もそれほど広くはないのですが、奈良時代から続く歴史のあるお寺ということなので、参拝を兼ねて境内に入ってみました。
京都の町を散策していると、御旅所(おたびしょ)という敷地を見かけることがあります。 入口に鳥居があるので、神社かと思ってしまいますが、ちょっと違います。 御旅所は、神社の祭礼で神輿が休憩したり宿泊したりする場所のことです。 簡単に言うと、神輿のホテルのようなものですね。 今回の記事では、伏見稲荷大社、松尾大社、八坂神社の御旅所を紹介します。