豊臣秀吉と徳川家康の面前で肝を冷やした西笑承兌が建立した豊光寺
京都市上京区の京都御苑の北に相国寺があります。 相国寺の境内には、いくつも塔頭(たっちゅう)が建っており、その中に豊光寺というお寺があります。 豊光寺は、豊臣秀吉の追善のため、相国寺第九十二世住持の西笑承兌(せいしょうじょうたい)が、慶長3年(1598年)に創建したものです。 西笑承兌は、豊臣秀吉や徳川家康と面識があり、両者の前で肝を冷やしたことがあります。
京都市上京区の京都御苑の北に相国寺があります。 相国寺の境内には、いくつも塔頭(たっちゅう)が建っており、その中に豊光寺というお寺があります。 豊光寺は、豊臣秀吉の追善のため、相国寺第九十二世住持の西笑承兌(せいしょうじょうたい)が、慶長3年(1598年)に創建したものです。 西笑承兌は、豊臣秀吉や徳川家康と面識があり、両者の前で肝を冷やしたことがあります。
慶長5年(1600年)6月。 徳川家康は、会津の上杉景勝を討伐するために伏見城を発ちました。 これまで徳川家康は、上杉景勝に上洛を求めていましたが、上杉景勝は全く上洛しようとしません。 そこで、徳川家康は、上杉景勝が豊臣政権に対して謀反を企てているとし上杉討伐に動き出したのでした。
京都市下京区の五条通から富小路通を南へ向かうと、道路の左右に世継地蔵で知られる上徳寺や源融ゆかりの本覚寺などたくさんのお寺が建ち並んでいます。 それらのお寺の中に浄土宗の極楽寺というお寺があるのにたまたま歩いていると気づきました。 門前に京都市の説明書があったことから、立ち寄ることに。
三条通から神宮道を南に2分ほど歩くと青蓮院(しょうれんいん)があります。 さらに青蓮院から南に2分歩くと知恩院があります。 青蓮院も知恩院も大きな寺院なので、とても目立ちます。 そのためか、両寺院の間にある花園天皇の陵は人の目に触れられず、素通りされてしまうことが多いですね。
8月16日の夕方に京都市東山区の祇園白川を訪れました。 祇園白川は、古い京都の町並みが残っており、春の桜の季節には大勢の旅行者や観光客で賑わいます。 その他の季節も、海外からお越しの方の姿を目にしますが、春に比べると少ないですね。
8月8日に京都市東山区の妙法院に参拝した後、南に3分ほど歩き智積院(ちしゃくいん)を訪れました。 智積院は、真言宗智山派の総本山で、東山七条の地に広々とした境内を持っています。 境内には、様々な植物が植えられており、四季折々の風景を見られるのが、智積院の良いところです。 真夏の8月は、木々の緑や参道で咲くキキョウを見ることができます。
8月8日に京都市東山区の大谷本廟に参拝した後、南へ約10分歩き、妙法院に参拝しました。 妙法院は、天台宗の三門跡寺院の一つに数えられる格式の高いお寺です。 でも、誰でも参拝でき、気軽に訪れることができます。
8月16日の夕方に京都市東山区の祇園白川を歩いた後、大谷祖廟に参拝しました。 大谷祖廟は、東本願寺の親鸞聖人の廟所で、毎年8月14日から16日に東大谷万灯会が催されます。 東大谷万灯会では、墓地にたくさんの提灯が吊るされ、参拝者を温かく見守るように夜の東山にオレンジ色の光が灯ります。
毎年8月16日は、盂蘭盆(うらぼん)に迎えられたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世へ送る五山送り火が行われます。 今年は、台風の影響で、15日の護摩木の受付は中止されたものの、16日には予定どおり五山送り火が行われました。 そして、私は、京都市左京区の吉田山に五山送り火を見に行ってきました。
8月8日に京都市東山区の六道珍皇寺に参拝した後、南東に約10分歩き、大谷本廟を訪れました。 大谷本廟は、西本願寺の親鸞聖人の廟所です。 8月5日から16日までは、盂蘭盆会(うらぼんえ)期間ということで、普段よりも参拝者の姿が多かったです。