後白河上皇と二条天皇が幽閉された平安宮一本御書所跡

二条城の北は、平安時代、平安宮の内裏があった場所です。 その南東には一本御書所(いっぽんごしょどころ)と呼ばれていた施設がありました。 一本御書所は、天暦2年(948年)頃から貞信公記(ていしんこうき)などの文献に登場するようになります。 その役割は、世間に流布する書籍を一部ずつ書き写して保管していたとされています。 他に一本書と呼ばれる1冊しかない本を納めさせて保管していたという説もありますね。 歴史的事件としては、平治の乱(1159年)と深く関係しています。

六波羅蜜寺の境内にある六波羅探題府の石碑

京都市東山区の京阪電車の清水五条駅から少し東に六波羅蜜寺が建っています。 この辺りは、平安時代や鎌倉時代には六波羅と呼ばれた一帯です。 歴史的には、平安時代末期に平家の邸宅が建ち並んだ六波羅第があった場所としてよく知られていますね。 また、鎌倉時代には、六波羅探題が置かれた場所でもあります。

初秋の早朝に参拝した石清水八幡宮

9月15日に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の勅祭・石清水祭の放生行事を見に行きました。 行事が行われるのが午前8時からだったので、その前に男山山上の本殿に参拝することに。 早朝の神社は静寂に包まれているので、心を落ち着けてお参りすることができます。

石清水祭の放生行事・2014年

毎年9月15日は、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、勅祭の石清水祭が行われます。 勅祭というのは、天皇陛下からの使いである勅使がお供えを備えるために参向する祭礼のことで、勅祭が斎行されるのは石清水八幡宮を含めて全国で16社しかありません。 中でも、石清水祭は、賀茂祭と春日祭とともに三大勅祭とされています。 石清水祭は、15日の深夜から午後8時ころまで行われます。 今回、私が参加したのは、午前8時から行われた放生行事(ほうじょうぎょうじ)です。

後白河法皇にも効果があった。頭痛平癒のお参りは三十三間堂へ。

頭痛に悩む現代人が多いそうですね。 仕事でパソコンを使ったり、携帯電話の画面を長時間見続けたりといったことが理由といわれることがあるので、あまり目を酷使しない方が良いのかもしれません。 頭痛に悩んでいたのは、現代人だけではありません。 平安時代末期には、後白河法皇も頭痛に悩まされ、それが理由で平清盛が三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)を創建したとも伝えられています。

昔は奈良の興福寺に属していた八坂神社

京都市東山区の四条通の東の端に八坂神社の朱色の楼門が建っています。 この楼門を見ると、祇園に来たなと思うんですよね。 おそらく、旅行で京都に訪れた方が、この楼門を見ると京都らしさを感じるのではないでしょうか。 八坂神社は、貞観元年(876年)に奈良の興福寺の円如が創建した天神堂が始まりと伝えられています。 なので、八坂神社は、当初は興福寺の末社だったのですが、ある事件を機に比叡山延暦寺に属することになりました。

石清水八幡宮の展望台で観賞したスーパームーン

2014年9月8日は中秋の名月ということで、京都府八幡市の安居橋(あんごばし)にお月見をしに行きました。 その翌日の9月9日は、月の輝きが素晴らしいスーパームーンが見れるということで、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の展望台へ。 石清水八幡宮へは、京阪電車の八幡市駅からケーブルカーに乗車し、男山の山上まで行くのが便利です。 ちなみに展望台はケーブルの駅近くにあります。

南禅寺の再興に活躍した以心崇伝

現在、京都にはたくさんのお寺や神社があります。 寺社には、京都らしい建築物が多いので、国内だけでなく海外からもたくさんの旅行者が観光で訪れますね。 私も、よく京都のお寺や神社に観光目的で参拝することがあります。その時は、せわしない日常を忘れて心がスッキリとするというか、気持ちがとても和むんですよね。 このようなすがすがしい気持ちにさせてくれる寺社ですが、その中には、ドロドロの政治の世界と関わってきたからこそ、今日まで存続しているところがいくつもあります。 京都市左京区に建つ南禅寺も、そのひとつと言えるでしょう。

地獄の閻魔大王が祀られている2つのお寺

「嘘をついたら地獄の閻魔さまに舌を抜かれますよ」 子供の時にこんなことを大人から言われたことがある方は多いはず。 だから、閻魔さまは、とても怖い存在だという印象があるでしょう。私もそう思っています。 そして、なんとなく悪そうな印象もあるので、閻魔さまは仏さまが祀られているお寺にはいないと思い込んでしまいますが、実は、京都には閻魔さまを祀ったお寺が上京区と東山区の2ヶ所にあります。 上京区のお寺は引接寺(いんじょうじ)で、東山区のお寺は六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。