祇園祭後祭山鉾巡行-橋弁慶山、北観音山・2015年

7月24日は、祇園祭後祭の山鉾巡行が行われる日です。 1週間前の前祭(さきまつり)の山鉾巡行は、雨が降っていたので見に行くのをやめたのですが、後祭の山鉾巡行の日は快晴だったので、四条河原町に観覧しに行くことに。 ところが、先頭の橋弁慶山が四条河原町に到着する10時40分には、すでに四条河原町の交差点はたくさんの観光客の方で埋め尽くされていました。 これでは、山鉾巡行を見ることができないので、仕方なく少し西に移動して四条寺町付近で観覧することにしました。

京都の梅雨明け空とサルスベリ・2015年

京都の梅雨明けは7月20日でした。 私が梅雨明けの発表を知ったのは、当日のテレビのニュースだったのですが、それを見る前に梅雨明けを実感していました。 なぜ、梅雨明けがわかったのかと言いますと、空を眺めながら京都を歩いていたからです。 この日は、とても爽やかな青空が広がっており、梅雨の空とは明らかに違うなと感じたんですよね。

智積院のキキョウとハス・2015年

7月下旬。 京都市東山区の智積院(ちしゃくいん)に参拝してきました。 智積院は四季折々の草花を楽しめるお寺として、最近、人気が出てきています。 さすがに夏の時期は暑いため、それほど参拝者は多くありませんが、それでもキキョウやハスを見にお参りに訪れる方がいらっしゃいますね。

夏の勝林寺・2015年

7月下旬の晴れの日。 京都市東山区の勝林寺にお参りしてきました。 勝林寺は、街中にある小さなお寺です。 この時期になると境内の鉢植えにたくさんのハスが植えられるので、それを見にチラホラと参拝者が訪れます。

夏の青空と東福寺

7月20日に京都は梅雨明けしました。 そして、この日は、夏の到来を実感できる天気で、頭上にはとても爽やかな青空が広がっていました。 こんな天気の良い日は、広い境内を持つお寺に参拝して、伽藍とともに青空を見上げるのがおすすめです。 ということで、7月20日に東福寺を訪れました。

本宮祭で賑わう伏見稲荷大社・2015年

毎年7月の土用入後初の日曜日又は祝日に京都市伏見区の伏見稲荷大社で、本宮祭(もとみやさい)が催されます。 本宮祭は、稲荷大神の分霊を祀る全国の崇敬者が総本宮に参拝し、日々のご神恩に感謝する大祭です。 前日には宵宮祭も行われ、本宮祭と合わせて2日間は、伏見稲荷大社は、国内外からの観光客や旅行者で大賑わいとなります。 と言うことで、7月20日の本宮祭の日に伏見稲荷大社に参拝してきました。

応仁の乱後の京都の復興は六角堂から始まった

応仁の乱(1467年)は11年にもおよび、京都の町を焼き尽くしました。 多くの家屋が焼失し、焼け野原となってしまったわけですが、現在でも京都の町が栄えていることから、歴史を知らなくても応仁の乱後に町が復興されたんだと想像できますね。 応仁の乱で壊滅的打撃を受けた京都を最初に復興したのは誰だったのでしょうか。 織田信長や豊臣秀吉など歴史上の有名な人物が思い浮かぶかもしれませんが、実は、応仁の乱後、最初に京都の町を復興しようとしたのは町衆と呼ばれる庶民たちだったのです。

合格祈願は東丸神社、商売繁盛祈願は伏見稲荷大社

稲荷神社は、全国的に商売繁盛のご利益で有名な神社です。 その総本宮が、京都市伏見区に鎮座する伏見稲荷大社ですね。 伏見稲荷大社は、正月にはたくさんの初詣客で賑わい、また、近年では外国人観光客からの人気も高くなっています。 国内外の旅行者に人気の伏見稲荷大社は、商売繁盛を祈願する人たちが多いわけですが、意外と合格祈願で訪れる学生も多い神社なのです。

五十日発祥の赤山禅院で売掛金回収祈願

「今日は五十日(ごとび)だから道が混んで車が動かない」 このような話を聞いたことはありませんか? 五十日とは、5の倍数にあたる日のことで、江戸時代から商人たちがこの日に売掛金の回収を行う習慣がありました。 五十日に売掛金を集金する五十払いの習慣が今も続いているので、5の倍数の日には道路が混雑するわけですね。 五十払いの発祥地は、京都市左京区の赤山禅院です。 なぜ、このお寺が五十払いの発祥地なのでしょうか。

奥渓家住宅の茅葺屋根の長屋門

北野天満宮から南に10分ほど歩いた辺りに茅葺屋根の古風な建物が建っています。 京都が1200年の歴史を持つ都市とは言え、北野天満宮がある京都市上京区は近代化が進んでいるので、あまり古びた建物が街中に建っていることはありません。 京都市街で、そのような古びた建物を見つけた時は、多くの場合、京都市の有形文化財に指定されています。